眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

久々に読書というものにのめりこみたい

他者とコミュニケーションを取る機会が皆無の生活を送っているので、外部に存在しているコンテンツを摂取しないと自家中毒を起こしてしまいそうになる。自分の考えが絶対的に正しいと偏屈になってしまう。そんなしょうもない人間になりたくないので、いや、そういう理由からではなく、しんどい精神をなんとか立て直したくなって、大型連休前に買った本を読んでいた。

 

 

なかなかに面白い本だったが、読書をする体力が失われていたので、7割ほど読んで放置していた。精神がくたびれている今なら楽しく読めるのではないか、と思って読み始めたら、世界の存在を、自分という存在を疑ってみた、といった内容の本で、今まで興味のないふりをしていた外界に対して興味が湧いてきて、感謝をしている。そして、蔑ろにしていた内界に対してもきちんと向き合いたくなった。

 

 

時間があることと、物事を徹底的に突き詰められる感情があったからこんなことを考えられたのだろう。それを平易な文章に置換して、読みやすいのに、1ページ読むたびに頭のなかの襞が刺激される心地よさ。これは何も考えない生活をこなしている時には感じえない快楽である。

 

 

今までそれがあることを「当たり前」、「普通」と思っていたこと、それが前提から覆されるような、知らないうちに現実を現実と思い込まされていた、でもそれはよくよく考えてみると虚構なのではないか、ということをきちんと考えてみたくなった。

 

 

私には思考する時間が足りていなかった。

 

 

思考せずに生活が堕落していたのはノイズがひどく、そちらばかりに気を取られていたからだ。テレビを消して、音楽も消して、ただ目の前に漂っている現実らしきものに目を向けて、果たしてそれはどうして成り立っているのか、いや、成り立っているように見せかけているだけで、後ろを見たらちゃちな造りなのではないか、と考えてみたくなる。

 

 

これほどまでに一人でいることが落ち着くものである、ということを実感できたのは久しぶりな気がしている。他人と密接な関係でいることが人生を豊穣なものにさせるんだよ、という考えは学校生活で植え付けられたものだったか。それとも、知らず知らずのうちに流布している、友達という存在に絶対的な価値を置いている人間が流行らせた妄想だろうか。

 

 

今住んでいる部屋を引っ越して、猫と一緒に生活を共にできるところで住みたい。人とはあまり関わりたくないけれど、猫となら楽しく生活を紡げるような気がしている。それもまた、誰かから植え付けられた妄想なのかもしれない。

 

 

雨は止まない。