眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

すべてがどうでもよくなるね

今まで私のことを苦しめてきた事象がすべて朽ち果ててしまったかのごとく、最近の私は何かに思い悩むことなく日々をのりこなしている。今年の初めから3月までの、あの精神的落ち込みはなんだったんだろう。今思い返してみようとしても、何に対してそんなに悩んでいたのかを思い出せなくなった。つまりはどうでもいいことだったのだ。

 

 

昨日は午前だけ働いて、午後はライブのために家でのんびりしていたのだけれど、疲れに倦んでいるせいか、したいと思っていることがなかなか進められず、先週の金曜日のような危機感を抱いていた。少しだけくたばっていた。そんなときに「空気階段の踊り場」を聞いて、勝手ながら勇気をもらった。私は人生を真面目に捉え過ぎている。大半の人はいい加減に生活を送っている。まあ、大半の人は真面目に生きているんだろうけれど。30年ほど生きてきて、私の人生を決定づけるような出来事は特になくて、言い方は悪いけれど流されるがままに生きてきた感じがしている。就職まで、将来に対して死ぬほど思い悩むことはなく、いざ週に5日間働き始めるようになったら、それはそれでいい塩梅に退屈凌ぎができている。暇ではないけれど、忙しくもない。ぬるま湯にずっと浸かっている感じがそろそろ8年も経とうとしていることに軽くゾッとするし、そんなことすぐにどうでもよくなってしまうのだ。

 

 

久しぶりに晴れたので外を散歩している。公園のベンチに座っていると相変わらず、こりもせず鳩は近寄ってくる。いつかの誰かが彼らに餌を与えたから、いつまでもそれに執着しているのだろう。人間だって同じようなもので、一度美味しい思いをしたら、また美味しい思いをしようと思って同じことを繰り返す。時間とお金と大切なものを失い続けていても、いつかはまた美味しい思いができると考えている哀れな生き物。

 

 

どことなく距離を感じる、それはきっと気のせいでもなんでもなくて。

 

 

あれだけ恋焦がれていたものにたどり着いときの、「こんなもんだったのか」という落胆をこれ以上経験したくないので、他者が介在するようなことはあまりしたくない。そろそろコミュニティからも離脱する。できることなら再び在宅勤務が復活して、自宅でこんこんと仕事をしていたい。まん防とか緊急事態宣言とか、遠い昔のお話のように思えてくるほどにいろんな物事がコロナ禍前に戻っていて、隣の部署では出張を企てている。どうせ出張したところでたいしたことをするわけでもないのに。出張先の美味しいものを食べるだけなのに。理由をつけて、会社のお金で得しようとするその考えは汚らわしいよな。

 

 

くたばってほしい人ほどくたばらなくて、大切に思っている人が次々と離脱していく世界。

 

 

マスクをしていない人がだんだん増えてきて、別にそれでもいいと思っているけれど、電車の中とか、すぐには逃れられないような場所で、大きな声で話すのはどうにかしてほしい。周りのことを想像することができない、頭がもうどうにかなっているとさえ思うよ。もう2年以上が経っているのに。学ばない人は一生学ばないだろうな。

 

 

昨日のライブで、不意に涙が込み上げてきたのは、知らず知らずのうちに我慢していたぶぶんを刺激されたからだと思っている。あんな最高な場所にいられたのは、きっとコロナのせいでライブに行きたいと思っていても周りのことを考えてライブに行くことを諦めた人が少なからずいたからだろう。私はいつまでライブに行くのだろう。いつまでライブが楽しいと思えるのだろう。

 

 

つまらない思いをしている暇なんてないから、今日も全力で一日を過ごしていたいな。

 

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