眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

当分は婚活をしないことだろう

通りがかった喫茶店で女性二人組が楽しそうに会話していた。どんな相手と結婚したいかという話題で、Aが「金持ちでイケメンで高身長」と答え、Bは「精神的にも身体的にも頑丈な人」と答えていた。「確かに心身共に頑丈なのは大切かも。お金よりも大切かも」とAが相槌を打っていたが、「いや、心身が頑丈なのは基本的な条件で、そこからもっとトッピングを加えるつもり」とBが嬉しそうに答えていて、まるでこの世の地獄を見ているようだった。

 

 

現在の私は昨日までの私と切り離された、完全なる「個」として存在しているような感覚に悩まされている。昨日までの記憶が希薄なので、見慣れているはずの自宅が毎日新鮮で、「こんなところにあったのか」と探し物を探す日々である。どうしてこうなってしまったのだろうか。何かしでかしてしまったのだろうか。一定の睡眠を摂取することで、脳に忘却作用が働いて、覚えておかなくても別にいいやというものは忘れてしまう仕組みになっているのだろうか。現状ではそれで困ったことになってはいないので放っておいているが、いつなんどき困難にぶつかるか分からないので、原因を突き止めて対策を講じる必要があるだろう。と、考えたこともきっと明日の朝には忘れている。

 

 

昼休み、1時間も要らないと思う。30分で大抵のことは済ませて、あとはただのんびりとスマホを眺めているか、寝るかぐらいしかなくて、そんなことをしているくらいなら昼休みを早めに切り上げて、早く帰りたい。1秒でも長く会社にいたいと思わない人間なので、昼休み時間については融通がついてほしい。

 

 

コロナ、まだ落ち着いていないし、去年や一昨年の今頃に比べたらたくさんの感染者が出ているが、既にみんな飽きているような気配が漂っている。街にはたくさんの人間が繰り出しているし、飲食店は大きな声で話す赤ら顔がたくさんいるし、電車は呆れるほどの満員だし。それでいいんじゃないかと思っている。いつまでもコロナに足止めを食らっていられるほど、人生は長くない。私は早い段階でまじめに自粛することに飽きたので、自分が感染しないように気をつけながら行動していて、それは今も特に変わらない。この間参加したパーティーはちょっと不用心だったかなと思ったけれど、無茶をしたのはそれくらいで、あとは粛々と自分の生活を送っている。コロナ禍前から人とはほとんど接してこなかった人間なので、自粛を要請された時も、「はあ」としか思わなかったし、地元の友達と一年以上会っていないけれど特に不満はない。どころか、余計な付き合いがなくなったことが嬉しい。今までの人生、必要だと思っていた人との交流は実はまやかしで、私にはそこまで必要ないんだなということに気が付けただけでも良かったとは思える、ほどになんとか精神的な健康を保っている。友達と会えなくて寂しい、恋人と会えなくて寂しい人はたくさんいるだろうが、私にはそもそも会いたいと思える友達、恋人がいなくて、なんなら最近では面倒で帰省もしなくなってしまった。ここまで思ってしまうのは対人関係という要素がなくても人生が充足してしまっているから。最近の鬼のようなライブのスケジュールや、勉強のことばかりに気を取られて、それ以外の、不確定要素がつきまとうことに対して興味を持てなくなった。不確定だから面白いんじゃないか、と思う人もいるだろうけれど、自分の努力だけではどうにもならないことが混ざり込んでくるようなことがある物事に対してはあまり興味が持てなくなった。熱量を注ぎ込んだ分だけきちんと返ってこないと満足しない、自己中心的な人間になってしまったようだ。

 

 

そんなわけで、まだしばらくは婚活をしないだろうし、趣味や勉強に全力を注ぎ込んでいたら40歳になってしまっていた、というオチが待ち受けているかもしれない。それでもいいと、今は思える。