眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

2021年11月15日(月)

朝から変なテンションになっていて、それを自覚しているので暴走しないようになんとか制御している。昨日のCRYAMYのライブによる興奮で、普段は決して開かないような蓋が自然と開いてしまったようだ。興奮が醒めないまま、寝ることもままならず、57歳のおじさんが婚活をする本を読んでいて、それも一緒になって変なテンションを引き起こしているのかもしれない。昨日は午前3時過ぎにようやく眠りに就くことが出来、朝はそこまで眠たさがなかった。隣の家から、6時頃からずっと目覚ましのアラームが鳴っていて、それのせいで6時過ぎに起きてしまった。起きれないのなら、無駄にアラームをかけないでほしい。うっかりするとそのまま家でごろごろしそうになってしまいそうだったので、あまり緩みを含ませずに時間を過ごす。今日も晴れている。寒さを若干感じるが、まだぎりぎり、カッターシャツだけでやっていける。そろそろ周りの人間から奇異な目で見られるかもしれないが、そんなことを気にしていたら神経症になってしまうだろう。通勤電車はそこそこの混み具合だが、ぎゅうぎゅうではない。もし今日が在宅勤務だったら...、と無駄な妄想を何度もしてしまう。通勤中はドミコを聴いていたが、昨日のライブの興奮があまりにも強すぎて、あまり響かなかった。

 


会社に着くと、メンバーはほぼほぼ揃っていた。そりゃそうか、あと7分で始業時間なのだから。それでも私に続いて主婦さんとZ君が慌てて出社するので、上には上がいる。始業時間になり、共有の仕事があったのでそれをのんびりとこなしていく。休日に体験した刺激が強すぎて、訥々とこなしていく単純作業がちょっとだけ新鮮に感じられた。それでも30分もすれば作業は一通り終わってしまい、さてどうしようかな、と考えを巡らせる。先週の内に出来たけれど取っておいた仕事をぽつりぽつりと進めていく。あまりにも仕事がない現状をうまいこと隠していたのが在宅勤務で、出社率100%になると、自分の現状の不甲斐なさを改めて思い知らされる。コピーロボットは井戸端会議さんから熱心に引継ぎをしていて、彼女が抱えている仕事の疑問点を全て解決しようとしていた。午前中はそこそこすることがあったので、するりと昼休みになった。

 

 

眠気がピークに達していたので、昼休みの殆どを睡眠に充てた。再び仕事が始まり、もうこれ以上することはないんだけれどな、とペットボトルのコーヒーを丁寧に飲みながら悩みを転がす。思えば入社して初めて配属された部署からずっと、暇を持て余していたような気がする。もちろんずっと暇なわけではない、忙しくて何時間も残業をする日々もあった。しかし、総じて「暇」な時間が流れていることが多くて、前までは「このままだと年相応の仕事を出来ない人間になってしまう」という焦りがあった。今はそんなことすら思わなくなり、早く定時にならないかなということばかり考えてしまう。上昇志向がなくなってしまった。会社に飼い馴らされてしまったのか。まだ30歳。新しいことに挑戦するには遅くはない年齢だと思う。もうこれ以上私の人生は拡張しない、と決めつけているのは自分自身で、行動次第でいかようにも今後の道は変容していく。これまでの安定した、ように見える退屈な道をだらだらと歩くのか、それとも道なき道を進み始めるのか、それはそろそろ決断したほうがいいのではないか。

 

 

ペットボトルの、100円ちょっとのコーヒーがあまりにもまずくて、コーヒーが嫌いになってしまいそう。美味しいコーヒーを飲んでしまうとコーヒーばかり追い求めてしまいそうで、それはそれで困るのだけれど、少しでも人生を豊饒なものにしてくれるものに支えられて生きていきたいと思う。全幅の信頼を寄せられるパートナーがいない今、私を全力で支えてくれるのは音楽と本だけだった。支えてくれるものがあるというだけで、すごく幸せなことなんだけれど、身近な幸せを感じられなくなってしまうほど、私は現状を冷静に見つめることが出来なくなっている。

 

 

昨夜のCRYAMYのライブの興奮が醒めていないのもあるし、また寝不足も原因してか、自分は無敵なんだと馬鹿なことを思っていた。今までは気が付かなかった、気にも留めなかった些細なことにも気付けるようになって、でもそれは精神的負荷を産み出していた。冷静に考えると、心の奥底で何を考えているのか分からない人間に囲まれながら、何時間も退屈な時間を過ごすというのは正気の沙汰ではなかった。これは最早、生きているとは言えないと思った。

 

 

定時になり、そそくさとみんな帰ってしまったので、私もあっけなく帰った。帰りの電車はそこそこ混んでいた。

 

 

家の最寄り駅に着き、近所のスーパーで買い物をするのが今の私の気晴らしである。鍋の具材で使う豆腐やら、朝ご飯のフルーツグラノーラ、牛乳などを買って、購買欲を満たしていた。家に帰り、白米抜きのキムチ鍋を食べて落ち着くと、上の階に住んでいる人間が発している音が気になった。とんとん、ではなく、どんどん、という音。家具でも組み立てているのだろうか。それにしてもうるさくて、ワイヤレスイヤホンをつけて、母親と1時間ほど電話をした。久しぶりの電話のような気がする。ひとしきり話したいことを話し終えると、あちらではまだ夕飯を食べていない、準備しないといけないということなので、通話が終わった。21時を過ぎて、上の階からは物音がしなくなっていた。

 

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婚活の本を読み終えて、再び婚活を始める気力など残っていないことを悟った。

 

 「誰かと生きたい」という気持ちには多分に依存心が含まれている。依存心が強いと相手に期待する。相手への期待が大きいと、アテがはずれたときの失望も大きい。そして、たいがいアテははずれる。男女とも自分が生きるのに精一杯だ。おたがい相手の期待に100%応えることなどできない。
 それを思うと、自我が育ち切ってしまった中高年の場合、一人で生きていく自信があってこそ、自分以外の人間に費やす時間と余力があってこそ、誰かと一緒に生きることができるのではないだろうか。
 「誰かとともに生きたい」ではなく、「誰かのために生きたい」と思えるくらいの心のゆとり、経済的なゆとりを持ってこそ、婚活は成就するのではないだろうか。

石神賢介「57歳で婚活したらすごかった」p208,209

 

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朝飯:フルーツグラノーラ
昼飯:オートミール雑炊
晩飯:キムチ鍋

 

歩数:4,522歩