眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

全然文章が書けなかった

帰省しているときはどうせやることもなくて暇だろうから、淡々と文章を書き続けることだろうと呑気に構えていた。実際に帰省すると思い出すのだが、家族との会話に夢中になり、とてもじゃないけれど文章を書くだなんて暗いことをやってられるような気分にはならない。リビングには誰かしらが常時いるので、暇を持て余したらふらっとリビングに赴き、どうでもいいことをだらだらと話す。それがなんというか、今までの一人暮らしの生活には存在しない時間の潤いで、ついつい夢中になって話し込んでしまうのだ。

 

 

話している内容はくだらないことばかりだ。最近だと皇室のこととか、コロナのこととか、自炊のこととか、あとは部屋の整理をどうするだとか、来月の兄の結婚式だとか(これはくだらないことではない)、そんなことを話しているとあっという間に時間が過ぎ去ってしまう。誰かと会話をしていると、どこかしかの中枢が刺激されるのか、快楽が頭の中を駆け巡る。それは今までの生活でほとんど他人と話していなかったことによる反動なのかもしれないが、それでも自分の中からこんなにも言葉が溢れ出てくるとは思ってもいなくて、話疲れて冷えた麦茶をぐびぐび飲んでいると、一人で生きていくのは寂しいことなのではないのかと思う。

 

 

寂しさを紛らわすためにする結婚もある。たとえ相手が人生を賭して愛し抜くべき女性ではなかったとしても、家に自分以外の人間がいるということは孤独を紛らわせてくれる。孤独を感じることが悪いことだとは思っていない、今はそのことについて訥々と書きたいのではなく、孤独を感じないために妥協して結婚するのもアリなのかもしれないと思っている。

 

 

今まで婚活をしてて出会った女性は、誰しもが異様に「完璧な相手」を求めていた。誰も妥協なんてしようとしていなかった。年収や家族背景については詳しく聞いていないが、性格だとか、体の相性だとか、どれだけ話し合えるかだとか、そういうことをパートナーに切実に所望していて、それを実現させようと必死になっていた。一時的に恋人だったような女性は、私が優しかったので、告白されて断る必要性を感じられなくて告白を受け入れた、つまりは吟味することなく相手を選んだのだが、末路は悲惨なものであった。その女性の中途半端な決断のせいで、私の婚期が遅れてしまったとここで喚き騒ぐのは、あまりにもみっともない。

 

 

あれ、こんなことを書きたかったのだろうか。両隣に座るおじさんは既に夕飯を済ませ、一人は腕を組んで何がしかを考えており、一人はチューハイを飲みながらスマホで新聞を読んでいる。だからなんなんだ。まだまだ東京に着くまで時間があるので、文章を書いて現状から気を紛らわせるしかないのだ。