眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

人生に意味を求めてしまう脆弱性

前にも同じようなことを書いた気がするが、その思いが強くなってきたので書く。

 

 

肌感覚で「人生に意味なんてない」というのは分かるんだけれど、どうにかして意味を付与して、恰も物語の主人公のように振る舞いたいと思うのは、そうしないとあまりにも人生が長すぎるし、退屈だから。何かしら打ち込めるもの、人生を賭けて打ち込めるものがない人間にとっては、人生というものはあまりにも長すぎる。他人とくだらないコミュニケーションを80年も取り続けるだなんて、正気な人間にはできないだろう。何言っているんだろう。

 

 

どうにも私は心が弱い人間なので、ふとした拍子に心が寒くなると、人生に意味を求めたくなる。ただ、人生自体に意味はなく、そこに意味を付与できるのは自分以外にいない。他人に意味を増やしてもらおうという人間はお金の奴隷になる。私はそんなみっともないことをしたくないので、自分で意味を見つける。

 

 

もう30歳なのにね。年齢を言い訳にするなんて、なんてみっともないんだろう。

 

 

何かを始めるのに遅すぎることはない、とは言うけれど、余命1年なのに宅建の試験を始めるのは遅いというか、そんなことしている場合じゃないだろうと思う。私の余命ももしかしたら1年、いやもっと短いのかも知らなくて、こんなしょうもないことをつらつらと考えていないで、面白いと思ったことをどんどんしていくべきであり、多少のお金は必要になってくるだろう。

 

 

こんなことを書きたかったわけではない。というのが生きてて往々にしてあることを思い知る。晴れの日が続きますように。