眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

世間と隔絶される

一日だけの在宅勤務なのに、こんなにも世界から離れている感覚を覚えるのは、それは、きっと、私の心が感傷的な気分を抱えているから。

 

 

誰からも干渉されることのない世界は寂しいものだとばかり思っていたけれど、そんなことなくて、ただただ居心地の良い空間である。誰かに嫌なことを言われるされることはなく、一人で物事を進めていくだけで一日が終わる。それの積み重ねを忌避する人、他人の肌の温かさを感じたいと思う軟弱者もいるだろう。わたしも前まではそのような温かさを求めていたけれど、今ではそんなものは虚構のなかの作り物であることが分かって、そんなもの、精神を擦り減らしてまで手に入れたいとは思わなくなった。精神的負荷のかかる作業をして、安定のしないものを手に入れるくらいなら、目の前でたくさん広がっている、お金さえ払えばストレスなく手にすることの出来るコンテンツをえんえんと摂取し続ける。

 

 

人生は短い。楽しみたい作品はあまりにも多すぎる。

 

 

それでも誰かと結ばれて、子どもを作って、それなりに幸せな家庭を築いている人たちもそりゃ世界にはたくさんいて、それで幸せならそれで良いんじゃないかと思う。ただ、一人きりの日々を生きてて想うのは、自分一人の世話だけでも日々はいっぱいいっぱいなのに、結婚して相手のことを考えながら、また子どもが出来たらその子の面倒を見る、それらのことが私にできるとは到底思えなくなった。体力が無さすぎる私は、体力が消耗されないよう気をつけて生きているのだが、それでも一日が終わると体力はほとんど残っていなくて、布団に包まると一瞬にして眠ってしまう。そんな人間が他の人間の面倒を見るなんて無理なんじゃないかと思う。自分一人の人生だけでいっぱいいっぱいなのに、他人の人生も抱き抱えるなんて、私にはおそらく出来ないだろう。結婚なんて、有り余る体力を持ち合わせている者同士でするもので、体力的にも精神的にも脆弱な者同士がしてしまったら、ただただ共依存の関係が生まれるだけだろう。

 

 

結婚するならまずは体力をつけなければいけないが、こんな時期なので外で運動をすることは躊躇われる。そう言ってなんだかんだと理由を見つけ出して結婚から逃げようとする。別に誰かに押しかけられているわけではない。結婚をしていない人は一人前ではない、という意味不明な論理をごりごりとぶつけてくる世間に苛立ちを覚え、既に興味を無くしてしまっているだけなのです。でもそんなの、「この人とならどんなものを擲ってでもいたい」と思える人と一緒になれたら、些末なことよと吐き捨てられるのだろう。