眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

痺れる体験を繰り返し繰り返す

serial experiments lain」(1998)を観終えた。先週4話分観て、しばらく興味を失って、今日の夜に最終話まで観た。途中、抗いがたい眠気に襲われたので少しだけ休息を取り、そのあとは一気に観た。

 

 

1990年代のアニメの雰囲気がとても懐かしかった。この頃が一番熱心にアニメを観ていたような気がする。まだ小学生の低学年で、音楽やゲーム、小説などの興味を持てなかった時期、私はのめりこむようにアニメを観て、自分は一人じゃない、ということを自分に言い聞かせていた。ただ当時私が観ていたのは子ども向けのアニメで、観たとしても1か月後には内容を忘れてしまうことが往々にしてあった。元々記憶力が悪いということも原因しているだろうが。

 

 

それからもコンスタントにアニメは観ていき、高校一年生の時に深夜アニメにとうとう手を出すようになる。「School Days」(2008)というアニメがあまりにも衝撃的で、こんなアニメをどんどん観たいという欲望が芽生え始めた。気になったものはどんどん観るようにして、それからアニメの世界に溺れるようになっていく。

 

 

大学生になっても懲りずにアニメを観ていて、社会人になってからアニメを観るスピードが鈍化した。音楽や小説などがいよいよ面白くなってきたこともあるし、そもそも、仕事をしたあとにアニメを観る気分になれなかった。その頃にリアルタイムで放映されていたアニメはそこまで印象に残るものはなく、もう私にはアニメとは縁が無くなってしまったものだと思っていた。

 

 

カルト的人気があるあのアニメが期間限定で無料公開されている、という呟きを見かけ、興味本位で観始めた。1990年代のアニメと言った感じで、淡々と描写される世界、淡白な音楽、下手な声優。ただ、「serial experiments lain」はそれだけに留まらず、取り扱っているテーマがテーマだけに、思わず前のめりになってしまった。20年以上前に作られた作品なのに古臭さをそこまで感じさせないのは、このアニメが取り扱っている概念が今の世界でも十分通用するからだろう。

 

 

一秒一秒がゆっくりと進んでいく。頻繁に映し出される独特な演出に頭が痺れる思いがした。このアニメがどのような帰結を結ぶのか、そもそもこのアニメは何を訴えたいのか。そんなことはどうでもよくって、目の前で繰り広げられている一秒一秒がとにかく濃厚で、1話観終えるたびにふっと深いため息をついた。それでも一気に観おえたのは、このアニメの世界観がとても懐かしくて、それは小学生の頃の自分が羨ましくなったことと同義である。時々映し出される家庭の一場面、特に食卓で家族が揃って食事をしている場面で頭が痺れた。咀嚼するその描写がとにかく気持ち悪くて、普段は他人の咀嚼する姿を進んでみることがないのだけれど、咀嚼というものがここまで気持ち悪いものだとはそこまで知らなかった。

 

 

いくつかの衝撃の場面は今後の夢でたびたび現れるような気がしている。この作品が世界的にカルト的人気を博するのも納得した。そして、まだ観ていない、素晴らしい作品、自分のしょうもない考えを根幹からぶち壊してくれるような作品をたくさん摂取したいと思っている。最近のアニメだと「作りこまれ過ぎている」、そして過激な描写は取り締まられるのでその辺の描写が控えめなので、その辺に対して寛容だった1990年代以前の作品をどんどん観ていきたいと思う。

 

 

アニメを観てこんなにも興奮したのは久しぶりだし、まだまだたくさんのアニメがこの世界に散らばっていることがこの上なく幸せなことだと心から思う。明日がすごく楽しみになっている。