眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

2021年9月14日(火)

それにしても今日も眠たい。昨日も早い時間に寝た、はずだ(多分...)。既に昨日の夜の記憶が曖昧になっているのは、ぼおっと生きていることの証左である。7時20分になってようやく布団から這い出し、ほぼ何も考えずに諸事をこなす。体がだるいような、そうでもないような、どっちつかずあっちこっちの雰囲気で朝が過ぎる。ふっと意識が戻ると会社に居て、カタカタとキーボードを打鍵していた。隣にはコピーロボット、後ろにはおジイさんが座っていて、彼らも仕事をしているようだった。今日も圧倒的「暇」であった。暇は良い、というのはたった数日の話で、それ以上続くとうんざりしてくる。大して好きでもない相手と結婚して、最初はそれなりに楽しいかもしれないが、そのうちに日常に倦んでくることが往々にしてあろそうだが、それと似た感覚である。

 

 

共有の仕事の担当なので、それを丁寧にこなす。普段はチェックしないようなぶぶんですら根気よく確認するが、時期が時期なのでそこまで量は多くなく、30分もしたら作業が終わってしまった。さて、次は何をしようか。そもそもが任されている仕事の量が少なすぎるのではないか。3年前のあの出来事を上司はまだ気にしていて、当たり障りのない仕事だけを提供してくれているのか。そんな余計な心配は御無用だ、と声を大にして言いたいところだけれど、責任が重たくて重たくて仕方がなくて、1度でもミスをすると自分か自分以外の人間の誰かのクビが吹き飛んでしまうような仕事を任されたら会社に行きたくなくなる。まるで3年前、4年前のあの悪夢のような日々が再び私の前に現れるのだと思うと背筋がぞくぞくする。暇でもいいか、お給料もそこそこ貰えているのだし。もし子どもがいたとして、パートナーが専業主婦だったら切り詰めないと生きていけない感じではあるが、自分ひとりの欲望を満たすだけなら今の給料で充分である。と思えるのは給料にプラスして一時的に家賃補助が出ているから。家賃の8割を会社が負担してくれるのは非常に有り難い。有り難すぎて、今年は異常なまでにライブに行っていて、先々週辺りからライブに対して昂揚を感じなくなったので、今後はほとんどライブに行かなくなるだろう。今はライブに行って5,000円ほどのお金と引き換えに疲労を貰うより、1,000円弱で購入した本を快適な自分の部屋で、椅子に凭れながらだらだら読んでいたい欲の方が強い。

 

 

仕事の話に戻す。コピーロボットがぶつぶつと呟いているので、(とうとう病んだか?)と興奮気味になったが、よく見るとオンラインで会議をしているだけだった。嬉しそうにパソコンと向き合っている彼も、コロナで人と話す機会が激減して、久しぶりに家人以外の人と話すことに愉しさを感じているのだろう。おジイさんの呟きはどこまでも独り言なので、聞こえないふりをする。こうやって文章を書いていると、普段は意識しないのだが、自分の底意地の悪さを思い知る。

 

 

ようやくたどり着いたお昼休み。もうすることがないのでこのまま会社を去りたかったが、昼飯を準備してきたのでそれを食べてから今後の動向をじっくり考えることにする。今日も弁当。会社の近くで外食をしたのがいつなのか忘れてしまうくらいに弁当が日常になった。これで節約できているのかは怪しい。ごぼうサラダだけで200円近くもしているので、400円弱はかかっているのではないか。だとしたらスーパーで弁当を買ったほうがよっぽど良いのではないかと思うのだが、昼休みのスーパーは人で溢れかえっており、同僚と連れ立って来ている人はそれはそれは大きな声で会話をしているので、感染リスクを考えたらそんな時間帯にそんな場所に行きたくないし、午前11時頃にはお腹が空いて仕方がないので、お昼休みに突入して呑気にスーパーに行って買い物をするような体力は残っていない。1ヶ月以上同じものを食べ続けているが、一向に飽きる気配がない、これも一種の才能だと自負している。弁当を食べ終えて、残り40分弱の休みを高尚な行動に費やしたいが、午前中の仕事で溜まったストレスを解消するために他人の呟きを読んだり、面白おかしい画像をついつい見てしまう。それでいいと思う。精神がギリギリのときに追い打ちをかけるようなことをしたら、午後の仕事なんてやる気が起きないだろう。

 

 

午後になって、新しい仕事が供給されることもなく、定時がとても遠く感じられる。暇な時間の時、暇だということが意識されると、暇という概念が確立してしまうので、暇ではないと心の中で言い続ければもしかしたら暇ではなくなるのかもしれない...(虚ろな表情)。これは前にも書いたが、することがなくて暇な時は早めに帰らせてほしい。その時は働いた分だけの給料を口座に入れてくれればいい。そうしたら私も貴重な人生の時間を無駄にしないし、会社も無駄金を払わなくて済むし、双方にメリットがあるだろう。そういうことがいわゆるフレックス制というものなのだろうか(多分違う)。調べたらすぐに答えが出てくるような世の中が嫌いだけれど、調べて答えが出てくるような事柄の大半ははっきり言ってしまえばどうでもいいことで、調べたとしても答えがわからないし、本を読んでも答えがわからない、考えても考えても答えがわからないことを考え続けることが人間として生きることの醍醐味であることを忘れないでいたい。埋没していく好奇心を適宜掘り起こして、感性が死んでしまわないように。

 

 

仕事中にコーヒーを飲んで退屈を紛らわせるようになってから1ヶ月くらい経っただろうか。飲み初めの頃は80円くらいのコーヒーでも「美味い美味い」と喜んでいたが、今となってはほぼ水、水にコーヒーの匂いを付け足しただけのような飲み物に感じられて、ちゃんとしたコーヒーを飲みたくなっている。ペットボトルに入れられているようなコーヒーは苦いというよりも酸っぱい、それも底の浅い酸っぱさが前面に押し出されていて、これを飲んで気分転換するのは至難の業である。なので、今日は120円弱もする、大きめの缶に入ったコーヒーを飲んだ。一口飲んで、「あっ違う」と思ったが、二口目に、「あっ、酸っぱい」となって残念な気持ちになった。しかし飲んで20秒くらい経つと、下の上に酸っぱさと苦さの中間点のような味がしばらく残り、さすがは缶のコーヒーと嬉しくなった。ちゃんとした喫茶店出てくるようなコーヒーをなんとなく飲んでいたけれど、ペットボトルのコーヒーを飲んで、今更ながら喫茶店のコーヒーの偉大さを実感してる。残念ながら、ペットボトルのコーヒーは「コーヒー紛い」で、それはそれとして美味しく飲めればいいが、素敵な喫茶店のコーヒーと比べるのはお門違いだろう。久しぶりに喫茶店でのんびりしたいが、まだまだ危険な状況が続いているので、相当な覚悟がないと四方に今まで何をしてきたのかわからない他人で犇めいている喫茶店なんか近づかない方がいい。外を散歩して、ふと目に入った喫茶店の中を見てみると、マスクを着けていない人同士でわーわー話していて、それを傍目に違う席でもノーマスクでわーわー話してる。この時期に喫茶店で働くことはリスクを伴う、接客業についていなくてよかった。現状は月初に一回だけ外食をするのだが、それもどうにかして回避した方がよさそうである。

 

 

とにかく暇すぎて、気づいたらコーヒーもなくなっていて、それでも他の人たちはせっせと自分の仕事に夢中になっているのを見ると、なんだか虚しいような切ないような、それでいて懐かしいような気分になったのは何故だろうか。コピーロボットとは一度も話さずに一日が終わった。彼は他の人とも気軽に世間話をするような人間ではないから別に気にすることではない、もし世間話を振ってきたところで、こんなご時世なので不必要な会話はできる限り避けたい。なので今の状況でいいのだと思う。今の職場に配属されて1年と半年が経ったが、誰一人として住んでいる場所や年齢、趣味や休日の過ごした、ストレス発散法を知らない。そういった生きていく上で不必要、全くもって不必要な情報はたまに発生する飲み会イベントの時に収集するものなのだろうが、来年ですら飲み会を開くことはおそらく困難だし、飲み会が開催される雰囲気が出たとしても、「私はコロナが怖いので」と飲み会に参加することを頑なに拒否するだろう。コロナ禍で失われたものはたくさんあるけれど、会社の飲み会というだるイベントを駆逐してくれたのは賞賛に値する。このままだと飲み会という文化が廃れてくれるのではないか、と一縷の望みを抱いている。営業では、コロナなんてどこ吹く風で、毎週のように同僚同士で飲み歩いているそうなので、あまり近づかないでほしいと思う私は狭量な人間だろうか。

 

 

我慢して我慢して、やっとこさ定時になった。しかし定時になってすぐに会社を出ると、「まるで今まで仕事がなかったかのようだね...」と周りに思われる可能性があるので、他の人と比べて比較的早めに退社してくれるおばさんが退社したタイミングで机の整理をして、重たいノートパソコンを鞄にぶちこんで、「お先に失礼します」という言葉を残して職場を去った。次に出社するのは3日後の金曜日なのだけれど、もうそこまできたらずっと休みにしてほしいと願うのは我儘だとあなたは言うのだろうか。

 

 

小雨がぱらぱら降っていた。9月ってこんなにも雨が多い月だったっけ?と思いながら機械的に歩いて駅に着き、ドミコを聴きながら自宅の最寄り駅まで電車に揺られる。新規感染者の数が順調に減ってきているので、9月いっぱいで在宅勤務は終了してしまうのだろう。どうせ11月にはまた復活するだろうから(11月に第6波が来ると予想してる)、2年くらいずっと在宅勤務にすればいいと思うのだけれど。そうは言っていられないのだよ、と言うけれど、いつまで紙ベースで仕事してるの、その仕事の形態が古いということ、在宅勤務よりも出社して仕事をすることが是とされているこの会社はやはり昭和気質なのである。

 

 

スーパーで今日と明日の夕飯の材料を買って、なくなりかけていたのでコチュジャンも買って、すぐに家に帰って、慌ただしくシャワーを浴びてから何日連続かわからないくらいのビビンバを食べる。今日も圧倒的に美味しすぎて、あっという間に平らげてしまう。ビビンバに入れる肉は試行錯誤していたが、アメリカ産の豚肉のロースがとても美味しいことが判明したので、これからはそれを鬼のようにリピートし続けることだろう。出来心で炒めた卵もいいアクセントになっていて、もしかした今年いっぱいはビビンバを食べ続けることになるかもしれない。明日の昼飯と晩飯もビビンバにしようと思っていて、ビビンバを超えるようなご飯を自分の力で生み出すことは現状では不可能だと錯覚しているので、明日も明後日も明明後日もビビンバになるだろう。家でビビンバを作るメリットは、安い値段で作れることと、材料の量を好みで増やせられることだ。韓国だとガッツリとしたビビンバを食べられるが、日本で提供されるビビンバの大半はなんだか全てが中途半端で、もうちょっとご飯があればいいのにな、もうちょっとお肉がのっていれば嬉しいのにな、もうちょっとサラダがあると健康にいいのだけれど、という不満を感じてしまう。自炊のいいところは食材の量を自分好みにカスタマイズできることで、しかしそれは同時にデブになってしまうことも容易になってしまうことであるので、くれぐれも爆食いはしないように気をつけている。2週間以上はほぼ毎日のようにビビンバを食べているが、体重は増えていないどころかちょっとだけ減っているので、健康面に関しては敏感にならなくていいのかもしれない。夕飯をしっかりと食べることで、夕飯後に間食をすることがなくなって、買い溜めておいたポテチはどこに行けばいいの?と彷徨っている。

 

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夕飯を食べ終えて、何もする気が起きない、というよりも猛烈な眠気に襲われて、暫し床の上で寝転ぶ。

 

bigpopmonster.hatenadiary.jp

 

こんな自堕落な生活を送っていたらいつまで経っても体力はつかないのだけれど、でも今の状況でスポーツジムに入会して、マスクをつけてせっせと運動することに魅力を感じないので、来年も同じような自堕落な生活を送ることになるのだろうな。

 

 

勉強をしたい、自分の高められるような勉強をしたいという意識の高いことを考えてはいるが、それを行動に移せていないのなら何も考えていないのと一緒。だけれど仕事終わりに勉強するだなんて、そんな体力は残っていないんです。しばらくぐったりして、おもむろに流した米津玄師の「Pale Blue」があまりにも良くて、ずっとこの歌の世界観で揺蕩っていたいと強く願った。そこから米津のなかでも好きな曲を数曲流していると少しずつ元気が出て、20時過ぎにようやく起き上がることに成功した。読みたい本は部屋にたくさん積み上げられているのだけれど、今はまだ書けていない過去の日常を書き留めておきたいので、パソコンでカタカタ文章を書いたり、スマホでカチカチ文章を書いているとあっという間に時間が流れて、日々のことを書き留めるだけで私の人生は終わってしまうのだろうかと思うとなんだか虚しい気分になって、こんな気分になるのならいっそのこと文章を書くことを放棄して、ただただ娯楽にうつつを抜かせばいいと思うのだった。今日も今日とて平和な一日也。

 

 

79.9kg
24.0%

 

朝飯:フルーツグラノーラ
昼飯:弁当(おにぎり2個、ごぼうサラダ、スンドゥブチゲスープ)
晩飯:ビビンバ

 

歩数:3,260歩