眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

2021年9月11日(土)

今日は夜まで何にもしなくていい、ぎりぎりまで外に出なくていいという事実が私を震え上がらせるほどに嬉しい。今までちょっとどうにかしてた。動きすぎると感性がにぶって、目の前で起きていることに十分に反応できなくなる。良かったのだ、これでよかったのだ。本当は予定が詰め込まれていたけれど、何かの拍子にその予定が吹き飛んでしまって、更地になって、そこにでかでかと「予定なし」と書かれた看板を突き刺して、今日が平穏に過ぎ去ることを祈る。そもそもこの10年、平穏じゃなかった日々なんてあったか?

 

 

ということで惰眠を貪る。9時過ぎまでだらだら寝て、9時過ぎに起きても布団の中でだらだらする。あと少しで30歳になるというのに、結婚をせず、子どもを育てず、自分一人だけの時間をだらだら楽しむのって背徳感があってよい。昔の日本のように結婚に対する圧力を周りから掛けられていたら、好きでもない人間とうっかり結婚してしまっていたかもしれない。もしかしたら結婚することが当たり前、「結婚しない大人はどこかおかしい人」、と決めつけられていた時代には好き合っていないのに結婚することはザラだったのかもしれない。今だって好きでもないのに付き合っているカップルは存在する、それは周りの人間に「一人身で寂しい奴」と思われないための行動かもしれない。結婚してから好きになっていくパターンもある。ずっと好きでも、結婚して一緒に暮らすようになったらそうでもなかったというパターンもある。幸せそうに見えるあのカップルも、家に帰ったら険悪な感じになっているかもしれない。付き合ってて100%幸せはないかもしれないけれど、付き合ってて100%不幸せもきっとない。こんな極端なことをいけしゃあしゃあと言えるのは、当分は恋愛世界に飛び込むつもりがないからである。他人に好かれるために、不本意ながらしたくもないことをすることの不幸さたるや!でも、したくないことをするってのが人間関係を円満に継続させるためにはある程度必要な要素で、それをすっ飛ばして気持ちよさだけくれ、あとお金も、と欲張る人間にはいつまで経ってもお似合いの人間は訪れない。

 

 

何度も落選したPEOPLE 1の一般発売。駄目でした。キャパが小さすぎる。次はZeppクラスで。と言っても彼らが次にツアーを組む頃にはZepp Tokyoはなくなっているんだろうな。

 

 

家から一歩も出ることなく、引き続きだらだらする。以前はひたすら家でだらだらしていると、ふっと意識が飛んで気付いたら3時間後の世界にワープしてました、というケースが多々あったが、最近は趣味で緑茶を飲むようにしてて、それのおかげか昼寝、または夕寝をすることがほとんどなくなった(ゼロではない)。ずっと布団の上でだらだらしているのも飽きてくるので、ロフトから降りて、録画してあった番組を見る。テレビを見る習慣が戻ったことを良いことと捉えていいのだろうか。めっきり読書熱、といったものは冷めてしまい、それはおそらく精神が死んでいるからである。私の精神は定期的に死ぬ、それは古来から決められた定めのように揺るぎないもので、精神が死んでしまう要因として急激な気温の変化に体が追い付かないというものが考えられる。精神が死んでしまう要因を前にも考えたような気がするが、どんなことを書いたかを仔細に思い出すことができない。自分が考えて文章にしたものですら記憶が曖昧になってしまうのだから、他人の興味のない話なんか一瞬にして忘れてしまっていいんです。最近の私はどうでもいい話をするような人が周りにいないけれど。いたとしても、感染リスク云々を考えて長々と話したくないけれど。保菌者とちょっとでも話したらアウトなのか、それともある程度の時間話したらアウトなのか。そもそも保菌者、という表現は正しいのか。ウイルスは菌ではなかった気がする。こういう適当なことを書いて、正確なことを調べないままで日々を過ごしているから、いつまで経っても同じようなところにとどまっているのだ。

 

 

THE BAWDIESのライブがあるので、重たい腰をあげて外に出る。外は曇り。どうか雨が降らないでほしい。

 

 

 

 

ライブが終わり、家に帰り、諸事をこなし、先ほどのライブの余韻に浸っていると、私は恵まれているほうだなと思う。いつまでこの恵まれている状態が続くのかは分からないけれど、出来る限り長く続くよう、努力をしていく所存です。どんな努力をすれば恵まれた状態でいられるのかは分かりませんが。

 

 

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歩数:4,942歩