眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

緊急性のない邂逅

余命幾ばくもない人だったら緊急性は生じるだろうか。久しぶりに長期休暇を取れたから地元に帰ってきた人に緊急性は付与されるだろうか。

 

 

いろんな理由をつけては人は人に会いたがるし、そうしないと健康を保つことができないらしい。私にはそのような考えがあまりぴんと来なくて、それは人嫌いでできることなら人と接していたくない性分も関係しているだろうが、命の危機を脅かしてまで(自分にも相手にも、そして知らぬ他人にも)会いたいというそのエネルギーはどこからやってくるのだろうか。文字では駄目なのか、電話では駄目なのか、ビデオ通話では駄目なのか。どうしてそこまで生身で会うことにこだわるのか。その行動がどれほどの影響を周りに、そして自分自身に与えているのか分かっているのだろうか。

 

 

百歩譲って会うことはいいとして、電車の中でくっちゃべるのはどうなんだろう。マスクを着けてる着けていないはここでは関係ない。公共の場でそのような行為をすることが周りの人にどれほどの影響を与えるのか、考えたことがあるのだろうか。考えないから、それか考えたけれど他人がどうなろうか知ったこっちゃねえという精神を持ち合わせているから電車の中でくっちゃべっているだろう。電車の中で一人でも、もそもそと飲食をしてるのも同様に罪深い行為になってしまった。

 

 

そんなことを気にするくらいなら外に出なければいい、家でじっとしていれば良いじゃないと不躾な人々はそのような言葉を私に投げつけてくるだろう。できるかぎり家にはいるよ。それでもずっと家にいると気分が滅入ってくるから、ほんの気分転換で、一人で、誰とも口を聞くことなくのっそりと行動してて、外に出ると不用心な人間のせいでこんなにも神経を研ぎ澄まさなければいけないのは、どうにかならないだろうか。そもそも、電車を使うということ、近くに人が息をしているようなところに行くこと自体が問題であって、買い物は全て、ネット通販で済ませばいいのだろうか。本は中身を確認してから買いたいというのは前時代の人間の考えだろうか。