眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

2021年8月21日(土)

のんびり、昼前までのんびり寝てた。だって今日は予定がないし、したいと思えることもないんだから。でもいつまでも布団の中にいても不健康なので、いっせーのせで布団から飛び出して、遅めの朝飯を食べて、ちょっとスマホを弄ってから、外晴れているし、久しぶりに新宿に行くか、でもまだお腹空いていないしな、別に新宿に行くからってそこで外食しなくちゃいけないわけではない、でも新宿に行くんだったら汁なし担々麺食べてえな、でも人が多いんじゃないの、こんなときに新宿に繰り出すのは愚策じゃないの、家でじっとしているか、家の近辺の、人気があまりないところを散歩するに留めたほうがいいんじゃないのかという危惧が一瞬よぎるが、でもまあ、大丈夫だろう、という緩みから悲劇はいつだって起こるのだ。

 

 

ということを8/23の夜に書いているのだが、そういえば11時に歯医者に行ったんだったわ。記憶力の乏しさにびびっている。3カ月ぶりだろうか、歯医者に行って、2週間前かもうちょっと前から右上の奥歯が痛み出していたので、それをちょっと診てもらった。「あれですわ、歯ぎしりが酷い人は犬歯を削ってしまって、犬歯以外の歯で歯ぎしりをカバーしてるんです。この、奥から3つ目の歯でどうにか堪えている感じですよね。隣の歯と高さが異なるので、ちょっと削って高さを合わせますね。マウスピースがあったらそれをつけてくださいね」と先生に言われ、あっという間にそこのぶぶんの治療は終わった。しかし、左上の歯に微細な虫歯が発見される。「麻酔するほどでもないので、ちょちょちょっと削っちゃいますね。いきまーす。痛いですよね、すいません。こんな風に患者さんの歯を痛めつけてしまって、こんなことをしている悪人にはきちんとしっぺ返しが来ますからね、安心してください。おてんとうさまはしっかり見てますから。それにしても、最近はしっぺ返しが早くなっているのは気のせいかな。痛いですよね、ごめんなさい。はい、これで終わりです」と先生持ち前のユーモアを発揮してくれたので、あっという間に治療が終わった。「次は4か月後です。もし治療した箇所が痛み出したら、すぐに来てくださいね」とのこと。お疲れさまでした。 

 

 

めんどくさいことは長時間考えられるような器用な人間ではないので、ちょっとお腹が空いてきたなとなったときにようやく腰を上げて、外に繰り出した。晴れているけれど、殺人的な暑さではない、ちょうどいい暖かさのなかを通り抜けて、電車に乗る。新宿に降り立って、西口の、金券ショップが乱立しているところを通るのだが、普段の人通りよりも少なくて、自粛意識の高い人たちはきちんと自粛しているのかしら、それに比べて私は担々麺を食べたいという自分の欲望を優先して新宿を歩いているのだから、危機意識に欠けている、でも家庭は持ち合わせていないので、もしコロナに感染して苦しむようなことになったとしても周りに居る人を苦しめることはない、せいぜい同じ空間で働いている会社の同僚に移してしまうかもしれない、しかしそのことに対してはそこまで深刻に考えていなくて、別に親しくもない人なので......、というぶぶんに私の性格の悪さが露呈しているのだった。13時30分過ぎにいつもの担々麺のお店に着き、いつもの汁なし担々麺を食べる。今日はいつもよりも山椒がぴりりと効いているような気がしたが、気のせいだろうか。頻繁に食べているのに飽きる気配がない、どころかどんどん好きになっていく、これは新宿東口のあご塩らーめんと同じパターンで、これはいつになったら飽きるのだろうか、もしかしたら飽きる前に私の人生が終わってしまうか、この店が現実から姿を消してしまう方が早いのかもしれない。そんなしょうもないことを山椒でぴりりとした頭でぼおっと考えられる幸せを今後も噛み締めていきたい。

 

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その足でブックファーストへ。先週から保坂和志の影響で読み始めてハマっている磯崎憲一郎の本を買おうと思い、文庫コーナーを一通り見たのだが、「終の住処」しかなくて、河出文庫、文春文庫、講談社文庫からもでているのに一冊も置かれていなかった。売れていないのか。文庫本が置いていないということは単行本も置いていないということである。急にやる気がなくなった私は、読みたいと思っていたカフカ(これも保坂和志の影響)を買うことを諦め、他にもハヤカワ文庫で出てた本も諦め、全てを諦め、諦めつつも、でもまだ諦めたくない気持ちもちょっとだけ残っていて、ちょっとだけ店内を右往左往して、どうにも諦めの気持ちが払拭できなかったので、完全に諦めて店を出て、新宿を抜け出した。

 

 

家に帰って、眠たくて、ちょっとだけのつもりで目を瞑ったら瞬く間に寝てしまっていた。私はどれだけ寝れば気が済むのだろうか、というくらいに睡眠ばかり摂っている人間で、睡眠の時間を少しでも圧縮できれば、もう少し有意義な人生が送れるのかもしれない、しかし「有意義」なんて胡散臭い言葉を使うようになると、人間自体が胡散臭くなってしまう、そもそも有意義とはなんぞや、有意義ではないことは意味はないということか、有意義ではないことでも、いやむしろその時点では有意義と判断できなかったことのほうがのちのちの人生に効いてくるのではないか、そうではないかもしれないが、効率、とか、意味がある、とか、そういった卑小な言葉を使い始めるとつまらない人間になってしまうので、自分で自分の行動を制限するのは良くないことだ、でも制限しなさすぎるのも良くないことで、制限のバランスが難しくて頭を悩ませていたらあっという間に夜になっている。

 

 

日常にライブが刺し挟まれるようになったからそこまで不安な気分になることはないんだけれど、もしライブがすっぽり抜け落ちてしまい、家と会社の往復だけになってしまったら、去年のような、悲惨な精神状態に陥ってしまうだろう。状況は日に日に悪化しているので、今、ライブに参加するのはリスクを伴うことである、しかし電車で通勤すること、人がそこそこ集まる場所で仕事をすることもリスクを伴うので、リスクを背負ってでもライブには行く。もちろん感染対策はしっかりとするし、感染対策を怠っている人を見かけたらスタッフに声掛けをする。今度の火曜日に行く予定にユニゾンのライブは、陣営がしっかりしている、ここまでしっかり感染対策を行っているのはたぶんユニゾンだろう、それくらいに信頼しているので安心しているけれど、ロビーなどでは気の緩んだ人が躊躇することなく話しているので、ぎりぎりに会場に行くか、会場に着いたらすぐに自分の座席に向かうようにする。もしライブに行ってコロナに感染したとしても、後悔はきっとしない、ライブが無かったら私の今の人生は生きているとは言えないから。そりゃ生活を盛り上げる娯楽はライブ以外にもある、本だってドラマだってアニメだって、家という安全な場所で存分に味わうことができる、でもそれだけじゃ満たされないぶぶんが体と心にはあって、それはライブに行って生の演奏を聴くことでしか満たされないのである。こんな時期にライブに行くなんて非常識だと言いたい気持ちは分かるけれど、確かにライブは不要不急のものではないのかもしれないけれど、ライブをすることで収入を得ている人がいる、その人たちが暮らしていけるようにするために国がきちんと補償をしてくれないなら、音楽ファンがひとつでも多く現場に足を運び、そこでお金を払うのが良いのかもしれない。これについては考えても答えがでないのだけれど、考えるのをやめてしまったら終わりなので、いつまででも考え続ける。

 

 

明日まだ休みという緩みで、あまり今日を謳歌できなかったことを残念に思いながら、それでもあっという間に寝てしまうのは、外に出てて疲れてしまったことと、忙しくないけれど、労働によって心身が疲弊していたことを証明していた。明日はきっと、一日中家にいるんだろうな。

 

 

7,020歩