眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

2021年8月20日(金)

平常業務とは異なる業務が発生して、それは1カ月前から分かっていて、それについてせっせと準備をして、本番を迎えた。深刻な顔をしたおじさんの顔が10つも並んでいると、その不自然さに思わず吹き出してしまいそうになる。それで思い出しのだが、私は笑ってはいけないようなところで笑ってしまう癖が昔からあった。小学生の時、クラスで飼っていた亀が死んで、先生が「みんなで○○くん(亀の名前)のを死を思いましょう」と言って、みんなは目を瞑るんだけれど、私だけはどうにも目を瞑るまでいかない、みんなが同じことを、きっと亀が死んで可哀想だとか、そういうことをみんなが一様に思っていることがどうにも可笑しく思えてしまい、目を瞑って死を悼むどころではなかった。私はきっと病気なのだろう、笑ってはいけない場面で笑ってしまう不謹慎な人間なのだろうという強迫観念じみた考えがずっと残っていて、そういった場面は生きているとちょくちょく起こる。なぜ私はそういった場面のときに笑ってしまいそうになるのか、皆と同じように深刻な顔を作れないのか。それはたくさんの人間が、普段は異なることを各々が考えているのに、急に同じことを考えろと指示されるのがあまりにも理不尽であることに対する苛立ちがあるのではなかったか。考えることは自由である、それを文章にして発信したり、口に出してしまって他人を傷つけてしまうのは危険を孕むのだけれど、考えることはどこまでも自由であると思っていて、その考えるという行動を他人に指示されるのが鬱陶しい、要するに私という人間は誰かに何かを指図されるのが嫌いだし、他人の命令を素直に聞き入れる人はどんなに素直なんだろうと、そんな素直に生きてて大丈夫なんだろうか、と不思議に思ったはずだ。しかし当時はそこまで深くは考えず、ただただむず痒さを感じていた。 

 

 

コロナのせいもあるし、コロナのせいでもなく、私は職場で同僚と雑談をすることがない。周りに人間がいない、それは在宅勤務をしているから、ので声を掛けようにも人がいないからという理由もあるが、雑談をしていると上司から目をつけられ、それでどこか遠く、アジアの僻地みたいなところに飛ばされるのがどうにも嫌だからだ。所帯を持っていないので、来週から○○(アジアの僻地)へ行けと指示されても、億劫には感じるだろうけれど、生活がそこまで劇的に変化するわけではないので、渋々その命令を受け入れることになるだろう。所帯があれば、単身赴任か、一緒に行くのか、それとも会社を辞めるのか、もしくは転勤したくないと訴えるのか。私は現在のところ所帯を持っていない、所帯を持ちたいという気持ちはあって、不自然な婚活を細切れで何度かやったが、それが実を結ぶことはなかった。それで、今の時期に所帯を持つこと、恋人を作ることのリスクについて考える。東京に暮らしてて、他人と話す機会は職場の人間くらいで、あとは一切話さない、スーパーのレジの人に「カードで支払います」と言うくらいだろうか、あとは一切誰とも口を利かない。しかし、恋人がいたり、所帯をもっていたら、職場の人間以外とも口を利くことになる。例えば週に一度、恋人とデートをするとする。こんな時期だから家デートが望ましいが、毎週のように家デートだと恋人が飽きる、だから喫茶店などに行ってみるのだが、喫茶店では私達以外の人間ももちろんいて、こういう時期に喫茶店に居る人間の半数は、マスクをつけずに声を出している(偏見ではない、実際に見ている)。隣席との距離が近ければ近いほどそれを恐怖と感じるし、そもそも恋人がコロナに罹っていないとは断言できない。熱があったり、だるかったりしても、週に一度のデートだから、我慢している場合もあるかもしれない。そんな状況であれば、アウトである。私もコロナに罹る可能性は高く、テレビやネットで見ることのできる、コロナの症状に苦しむことになるだろうし、最悪死に至るかもしれない。今、他人と生でコミュニケーションを取ることはそれくらいの危険を孕んでいるということである。私は学生の頃、どうせ30歳まで生きないだろうと高を括っていたが、あと少しで30歳になってしまう、30歳になっても全然大人になれなかったし、学生のときと同じような気分で世界を見ている。

 

 

今この時期に学生でなくてよかったと心底思う。飲み会のような場面が潰されるのは愉快だが、それ以外の、コロナじゃなかったら体験できたことを今の学生は体験できない、それは非常に寂しいことであろう。気軽に友達と弾丸で温泉旅行に行くことも今は憚られるだろうし、そもそもクラブ活動が正常にできないだろう。私が大学生の時に所属していた演劇部は、去年は公演を中止、今年はネット配信をするとのことで、学生の時にしか体験できない、たくさんの機会を失ったのだろう、しかし彼らにとってはそういった機会が存在したことすら知らないのかもしれない。こんな時だから新入生も加入することはなく、既存の人間でなんとかやりくりしているそうだ、一人で3役演じる子もいて、それはそれで貴重な経験かもしれないが、新しい人間が入ってこなかったらその組織は近いうちに死んでしまうので、どこかで誰かがテコ入れをしないと演劇部は消滅してしまうだろう。就職と同時に東京に出てきてしまったので、後輩の演技を観ることは一度も叶わなかった。

 

 

定時を過ぎても帰りづらい雰囲気が漂っていて、それは共同で処理しなければいけない書類がまだたくさん残っていて、しかし出社している人間のどれもが忙しそうな雰囲気を醸し出しており、一向に書類の山が減らなかったからである。ここで文章を書くことに対して飽きを感じてしまったので、このことについての記述は控えることとする。最近の私は文章を書くことが億劫になっている。文章を書くことが嫌いになったわけではないのだが、いざパソコンのディスプレイを前にすると、わざわざ文章に変換するようなことはなかったか、と勝手に判断してしまい、すっとスリープモードにする。だなら、今月は日記以外の雑記を殆どしていない、ライブの感想についてもなかなか書けていない状況で、無理やり文章を書こうとすると私の中の私がストレスを感じて、それがゆくゆくは違う形で私を苦しめることになる、ならば必要最低限のことだけを書いていればいいのではないかと思う、毎日の日記すらも億劫に感じて、その日の出来事をその日のうちに書くことが出来ずに途方に暮れている、途方に暮れているだけだと人生があっけなく終わってしまうので最近は本を読んでばかりいて、選んだ本がどれも興味を惹かれるものばかりで、気づいたら読書以外のことをしないで一日が終わっていたということがあり、幸せな人生だなと思う。人間関係に気を病むことはない、そもそも気を病むような人間関係を構築していないのだから人間関係に気を病むことがない、今の私のストレスになっているのは婚活で、早く結婚したい、だから適切な人間に巡り合って交際したいと思うのだけれど、結婚している人間は一様に暗い顔をしており、それは独身の頃のような自由を謳歌できない、家庭に縛られてしたいことを我慢している状態が続いていることに対するストレスなのだろう、ただ家庭を持つことは人によってはその人の幸せの度合いを強めることになる。私は結婚したい気持ちはあるが、適切ではない人間と結婚をしたいとは思わない、そんなことをするくらいならひとりでのんびり生きていた方が気楽だと思うのである。

 

 

millennium parade「U」が届く。 「竜とそばかすの姫」は映画館ではいいかな。

 

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