眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

2021年8月18日(水)

私が毎日のように書いていることは自分の半径5メートル以内の、非常に卑近なことばかりで、そういったことを夢中になって書いているときはなんとも思わないのだけれど、いざそういったことを書いていることを意識すると、どうしてこんなことしか書けないのか、もうちょっと広い視野で物事を考えられないのかと戸惑う。戸惑うけれど、そもそも広い視野で物事を考えられることは良いことなのだろうか。広い視野、というか自分の属する範囲ではないことをああだこうだと騒ぎだてる人間がネットでは散見されるが、それらの意見の大半は間違っている。間違っているのが悪いわけではない、たくさんの人間がそれぞれの意見を表明することで問題が解決に向かっていくこともあるだろう。ただ、最近のネットで蔓延っている意見の大半は負のパワーが強いものが多く、特定の人間を貶めるような強い言葉であったり、嘘を本当であるかのように書いて、そういったゴミばかりがよく目立つような、はっきり言ってしまえば見てて不愉快な場所が今のネットである。私が初めてネットに触れたのは小学生高学年で、そのときからあらゆる人間の言葉に触れていたが、当時はまだ古き良きネットの世界が残っていて、ネットに触れてても不快になることがあまりなかった。他人の失敗に対して寛容で、誰か特定の人間を再起不能になるまで叩くような風潮はなかった。どうして今のような、見ているだけで不快になるような世界が広がってしまったのだろうか。それについてはたくさんの人がたくさん喋っているのでここで深堀はしないが、ストレスの捌け口をネットに求めるような、誰かを叩くことに抵抗を感じづらくなった人間が増えたことが関係しているのであろう。

 

 

在宅勤務のときは無の感情になることが多くて、今日も気付いたら無の感情が持続していることにはっと気づいて、でも無の感情でいることが必ずしも悪いことではない、無の感情が続くことで救われる命もきっとあるはず、と訳の分からないことを考えていないと、ひとりぼっちの空間はあまりにも静かすぎる。

 

 

 歩数:未測定