眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

2021年8月16日(月)

久しぶりに外に出て、電車に乗って、会社で働いてみて分かるのだけれど、不必要に思えていた所作の一つひとつが私の精神の平安を支えていた。こんな御時世だからぺらぺらと喋ることはない、いや、もともと職場の人間と陽気に話すタイプではないので、「こんな御時世だから」という前置きは必要なかった、でも話さなくても知っている人間が周りに居て、それぞれがそれぞれの仕事をしている、その空気が漂っているだけでも、家にいることが多くて落ち込みがちだった私の精神は救われる。誰かに積極的に話しかけられたら嬉しく思うかもしれない、しかし今はそういうことは推奨されない時代である、新しく入った来たデルタ株はマスクを貫通するとかなんとか言われてて、だから今は不用意に人間と話したくないのだけれど、それでも自分が話しかけたいと思ったらその機会がある場所に自分の居場所が存在しているというのは嬉しいものである。

 

 

9日間の休暇を経ての久しぶりの労働、それも2日続けて寝不足だったので、朝から眠たくて仕方がなく、でも休みだったら昨日のように昼くらいまで寝てしまっているだろうから、強制的に起きていなくちゃいけないのは助かる。電車はそこまで乗客はいなかった。雨は明日までイマイチな感じである、しかし今日は曇天から雨が落ちて来て傘をさすような瞬間はなかった。寒い。気づいたら夏は終わっていました、と告げられてもそれをすんなりと受け入れてしまうくらいに外の空気はひんやりしている。肌寒さを感じつつ会社に入ると、会社の冷房は連休前から設定が変わっていなくて、ひんやりの次の段階の寒さだった。女性陣は軒並み、椅子にかけてある布を体に纏っていた、そんなに寒いなら空調の設定を弄ればいいのに。しかし、とある男は自前の扇風機を当てながらタオルで汗を拭き拭きしていたから、いっそのこと暑がりは暑がり、寒がりは寒がりでひとまとめにして部屋に押し込んでしまったほうがお互いのためになるのではないか。私は若干の肌寒さを感じていたが、去年から溜めて見ないふりをしていた書類整理に没頭してて、すぐに暑さを感じた。

 

 

一向に労働のことについて書こうとしないのは、特別なことをしなかった、それどころか暇ですらあったので、労働を終え、解放感に包まれながら帰宅して、存分に夕飯を食べてぼおっとしていたら、「今日、何していたんだっけ?」と迷子になってしまい、わざわざ何をしたのかを思い出すような気力が湧かなかった。暇だったな、ということだけは覚えている。他の部署は出社している人間は少なくて、職場はがらんとしていた。私の所属する部署は全員が出社していて、朝会のときにお盆休みにどんなことをしていたのか、を話すことを強要させられた。こんな時に、こんなこと、である。全日、自宅でのんびり過ごすと上司に報告した人のなかには、きっとこっそり帰省した人がいるだろうし、旅行した人もいるだろう。皆、口を揃えて、「家でテレビを見てました」というのを聞くと笑いそうになった。

 

 

家に帰って、一通りの所作を終え、今日はあまり本を読む気分にならなくて、来週の土曜日にようやく開催される斉藤和義を聴いている。元々は去年の3月に開催される予定だったライブが同年の8月に延期になり、それもまた延期になった末のライブである。当初の趣旨とは変わってしまったライブ、「202020」の曲を存分にしてくれるライブでは無くなってしまったが、「55 STONES」も「202020」と同じくらい好きなので、その二つのアルバムからいい塩梅に曲が演奏されるのが楽しみである。ロフトで布団に転がりながら、斉藤和義の音楽を聴いているとひとりぼっちでいることの寂しさが霧散する。もしコロナがこんなにも酷くなっていなかったら、積極的に婚活していた未来があったかもしれない。良い感じに進んでいた女性も何人かいた。しかし、こんな医療崩壊で日本全国かぼろぼろになっている状態で呑気に婚活をしているのはさすがにまずいというか、普段は会わないような人と面と向かって話すのはリスクが高すぎる。もし婚活によって新型コロナに罹って、一生をかけて背負わなければいけない後遺症にかかってしまったら、あの時婚活を続けた選択をした自分の事を恨むだろう。後悔はしたくないので、コロナが落ち着くまでは婚活は諦めた。そもそも、良い感じに進んでいた女性とは音信不通になっていたので、これ以上むやみに進めても虚無が眼前に迫ってくるだけなんだけれどね。

 

 

今日は早い時間帯に眠りに就けそう。久しぶりの労働はいいぞ。

 

 

5,694歩