眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

メモ(2021.7.8)

無理しない程度の婚活。別に一人で生きてもいいやと思う最近。好きでもない人に対して、たくさんの時間と精神を捧げるのが馬鹿らしく思えてきた。結婚したいと焦っていたのは周りが一気に結婚したからで、私自身がきちんと考えて結婚したいとは思っていないような気がしてきた。恋愛は気が滅入る。本当に相性の良い相手とじゃないと苦行になる。子どもが欲しいと思っていたけれど、子育ては生半可な覚悟で取り組むものではない。本当に子どもが欲しいのか。子どもは可愛いと思うけれど、それは少しの間だけで、自我を持ち、反抗するようになった子どもを愛せるか。子育てに自分の時間が取られるようになったら、自分の人生を生きている実感はあるのか。

 

 

恋愛にうつつを抜かしている場合ではない。私は心が弱いので、もう少し、いやもっと自分のことを大切にした方がいい。3年前は仕事がしんどくて休職していたこと、それを最近は忘れがちで、今は仕事が楽チンだから仕事のことはあまり考えないけれど、ゆくゆくは責任の重い仕事を任されていく、そうなる前にそういう仕事ができるような準備をしておいた方がいい。勉強なんて全然していないけれど、そろそろ、というか今日からした方がいい。たくさんのプライベートの時間を無駄にしてしまうことに罪悪感があった。このままでいいのか、と不安な気持ちが拭えなかった。少しずつでいいから勉強しよう。経理のことでもいいし、働き方全般のことでもいい。学ぶことをやめてしまった人間は腐る。多分。今の私は本を読むくらいしか知識を摂取していない。ネットの時間の大半は無駄。無駄どころか害である。Twitterやしょうもない掲示板を見るのはやめよう。やめようやめよう思ってもつい見てしまうのは私の意思が弱いから。スマホを川に投げ捨てようか。

 

 

昨日、緊急事態宣言が再び発令されるような趣旨のことが発表されて、また心がきゅっと縮まったけれど、もうこれ以上くだらないことに付き合うのはやめよう。必要以上に心を暗くする必要はない。テレビのニュースや新聞はもう読まないようにしよう。ネットのニュースもチラ見くらいでいい。世間から隔絶して、人気のない田舎でひとり、今まで地道に蓄えた貯金を切り崩しながら細々と生きたい。コロナのこととか、恋愛のこととか、自分の心のこととか、そういうことを一切かなぐり捨てて、ただただ一日を存分に味わいたい。今の私は同じような日々を繰り返して、それに対して一切文句を言わない、ロボットのような生活を送っている。本当にそんなのでいいのか、そんな人生は生きていないことと同義ではないのか、という心の叫びすら表には滅多に顔を出さないほど、不感症の心。生きた心地がするのはライブを楽しんでいる時くらいで、それすらもまた制限されるようになったら、どこかで心がぶっ壊れるんだろう。

 

 

ふざけんなよ。