眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

2021年5月30日(日)

一日の大半が静か。昨日は午前3時まで寝れずにうだうだしてたくせに、起きたのが8時過ぎで、そこから二度寝するほどの眠気はない、でも眠てえなあとうだうだしながら午前中を過ごす。たくさんの本に囲まれているのだから、そのひとつひとつをどんどん読んでいけばいいものの、だらけた頭はインスタントなテレビ番組を所望している。テレビ番組を3つくらい見たらちょっと疲れて、眠いんだけれど、もし眠りが過ぎてしまって、ライブに間に合わなかったら嫌だな、とうだうだ考えてて、中途半端な睡眠を取ることも出来ずに刻一刻と時間が流れていく。

 

 

昨日寝れなかった理由を考える。隣が喧しいということもあったが、夜に彼女と電話して、それで中途半端な感情になってしまったからだ。彼女とは気を遣わないで、好きなことを言い合えるよう仲では全然なくて、すっごく気を遣いながら恐る恐る会話を進める。彼女がどんなことに対して嫌悪感を抱いているかとか、そういった基本的な情報すら未だに掴めていない。昨日電話が出来たのは午後9時過ぎで、でもその時間は彼女の睡眠が始まる時間なので、その時間帯から始まったらあまり電話は出来ないだろうなということは電話をする前からうすうす気付いていた。1週間に1度しか出来ない電話、どんな内容のことを話そうか事前にうんうんと考えていたけれど、いざ彼女と話していると、目の前に広がっている話題に食らいついていくのに精いっぱいで、訊きたかったことの1割も訊けなかった。この2カ月の付き合いで既に私が彼女についていくような構図が完成してしまい、彼女が時的余裕があるとき、かつ精神的余裕があるときには会えるけれど、それらがないときは現状では会えていない。2週間に1度しか会えない状況が未だに続いている。水曜日の電話で、彼女がドライな性格だということが判明し、それではそのドライな性格に合わせてやっていきましょうとは一応考えたけれど、私の頭はかちこちなので、自分の想像している「彼氏・彼女の関係」が世間一般のものであると疑わないし、その枠に当てはまらない彼女に対して、「それって付き合っていると言えるのか?」という疑問を持っている。いろいろ話を聞いて、彼女がどれほどまでにドライなのかということは理解したつもりだけれど、じゃあそんなに人に執着しないなら、なぜに恋人を作ろうと思ったのかという謎が残っている。土曜日は友達と全力で遊ぶ、なんなら金曜日の夜から遊んで、そのまま家で一緒に夜を過ごす。土日のどちらかは人に全く会いたくないそうで、だから今日は人とは一切関わりたくない、話したくないと言っていた。私は土曜日の夜に電話してて、それまで抑えていた彼女に会いたい欲を抑えきれなくなり、「ちょっとだけ、例えば30分だけとか、(彼女)ちゃんの家まで行くから、ちょっとだけお話できないかな?」と調子に乗って(いたのかな?)提案した。「う~ん、明日は誰とも会いたくないから。ごめんね」と無碍に断られた。そっか、そういう人もいるんだね、と勉強になった。なったつもりでいた。でも今日になって、でもそれって我儘なんじゃないの、と思うようになって、急に腹が立ってきた。全然会えないからさ、わざわざあなたの家の近くまで行くって言っているのに、それでも会いたくない、ってそれはもう恋人関係じゃないんじゃないの?と頭がぐつぐつ煮え立っていた。一旦冷静になる。そういう風に考えることこそ我儘だろ。平日は一生懸命仕事をして、精神と体力を擦り減らして頑張っているんだ。そして土曜日は友達と全力で遊んでいるんだよ。1週間に1日は休息日がないとさ、人はやっていけないんですよ。その1日があるからこそ明日からの仕事を頑張れるわけで、その1日には誰も入る隙間はないんです。申し訳ないけれど、入れないんです。

 

 

ここから一歩も通さない
理屈も法律も通さない
誰の声も届かない
友達も恋人も入れない

THE BLUE HEARTS「月の爆撃機

 

 

この歌詞が思い浮かんだ。日曜日の彼女は、こんな心境なんだろう。これ以上考えていてもどんどん闇に潜りこんでいくだけなので、もうやめだ。

 

 

お昼になって、お腹が空いて、外でラーメンを食べていないからか、ラーメンを食べたい欲が強まっていた。名古屋から持ってきた台湾ラーメンがまだ残っていたので、それと白米を食べて、その時はそれくらいの量でちょうどいいと思っていたけれど、時間が経つにつれてお腹が苦しくなっていって、ああ、間違えたと後悔した。

 

 

そのあとはSIX LOUNGEを聴いたり、岸政彦を読んだりなどした。ずっと家に居るのも億劫に感じられたので、昼ごはんが消化できたであろうタイミングを見計らって外に出た。南口までとぼとぼ歩いて、またとぼとぼ引き返した。晴れていたけれど、雨の、アスファルトの湿った匂いがすごくした。家に帰って、なんだか不安になったので外に干しておいた洗濯物を家に入れた。30分後にざーーっという音がして、最初は空気清浄機が敏感になったのかと思ったけれど、どうやら外から聴こえてくる感じがして、カーテンを開けたらバケツをひっくり返したように雨が降っていた。すぐに止んだ。変な天気だった。再来週くらいから、東京も梅雨入りするのだろうか。去年の記憶というものがライブ以外にほとんど残っていなくて、だから去年の梅雨の感じとか一切覚えていなくて、雨が苦手な私は今年の梅雨を乗り越えられるのだろうか、雨の日も欠かすことなく会社に行けるのだろうか、と不安になる、そんなことはなってみないと分からんですよ、と考えることを放棄した。

 

 

時間になったので家を出て、電車を乗り継いで、横浜のライブハウスへと向かった。

 

 

bigpopmonster.hatenadiary.jp

 

 

1時間というさっぱりしたライブだったけれど、満足感や耳鳴りはこってりしたものだった。18時30分にはライブが終わってしまったので、まだ外は真っ暗じゃなくて、まだ一日が残されているのがちょっぴり嬉しくなった。耳鳴りが酷くならないように、電車に乗っているときは一切音楽は聴かないでいた。スマホを弄る体力は残っておらず、先ほどのライブの余韻に浸っていた。電車に乗っているときはほぼほぼ音楽を聴いているので、イヤホンをかけていない状態の乗車がこれほどまでに神経を逆撫でするものなのかと思い知らされた。横浜だからだったのか。

 

 

家に帰りついて、シャワーと夕飯を済まして、ちょっとテレビを見てもまだだいぶ寝るには早かった。最近はAlabama Shakesの「Sound & Color」 ばかり聴いている。邦楽だと日本語は頭に忍び込んできて、文章を読んだり書いたりすることは難しくなるので、家に入るときは日本語以外の音楽を聴くことが多いのだけれど、Alabama Shakesを聴いていると大きな懐に包まれているような気分になる。歌詞とか一切見たことはないのでどんなことを歌っているのか知らんけれど、それなりに良いことを歌っていそうである。どんなことを歌っているかはそこまで重要じゃなくて、音の響き方とか、歌う人の心情がどれほどこもっているとか、そういったぶぶんを割と大切にしていることに今更ながら気付いた。毎日聴いてても飽きないAlabama Shakes、まだ活動しているのかな。「Sound & Color」が一番新しい作品で、2015年の作品で、ライブとかやっているのだろうか。そもそもどんなバンドなのか、メンバーがどんな顔をしているのかすら知らない。そんなことははっきり言ってどうでもいいことで、どんな音を鳴らしているのかだけが私にとっては重要なことである。

 

 

隣から女の話し声が聞こえる。20時過ぎからずっと聞こえていて、時折感情的な響きが混じるのは、彼女の精神の不安定さを物語っていた。ずっと話していた。どんな人間か知らないような奴の話し声なんて聞きたくないけれど、耳鳴りは継続中なので、目の前のことに集中することにした。そうすると時折女の声はやんで、寝てくれたか、と思うけれどちょっとしたらすぐにまた話し声が聞こえてくる。23時前に完全に音が止んで、ああ、やっと寝たか、と思って油断していたら女の声に加えて男の声も聞こえてきて、ああ、より一層不快になるやつが始まった、と軽く肩を落とした。今度部屋を探す際は、防音がしっかりしてて、よほどの爆音じゃない限り隣室の物音が聞こえないような部屋に住もうと強く願っていた。

 

 

bigpopmonster.hatenadiary.jp

 

 

最近は文章を書くことをさぼっていたので、過去の日記とかだらだら書いていたら24時を過ぎていて、明日は月末でてんやわんやだし、もしかしたら欠員も出るかもしれないので体調は万全にしておいたほうがよさそうだったので、そこまでよふかししないようにした。

 

 

いつになったら海外のバンドのライブが観れるのだろうか。一昨年の夏、スタジアムでTHE 1975を観たということが夢の中の出来事だったのではないかという思いが日に日に強くなっている。

 

 

5,408歩