眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

2021年5月29日(土)

昨日はぐちゃぐちゃな睡眠を取ったせいで、深夜3時にふっと目を覚ます。隣の部屋から男と女の、ぼそぼそとした話し声が聞こえてきて、ああ現実か、と思い頭に布団をかぶって再び眠りに就く。夢を見る。一定の条件を満たすとタイムスリップする夢で、何度もタイムスリップをしていると条件の判定が厳しくなっていって、緊急でタイムスリップしないのになかなかできなくて焦る、そして異常にトイレが遠い。朝6時に再び目を覚まし、お手洗いを済ましてからまた眠る。

 

 

ふっと目を覚ますと10時を50分ほど過ぎていた。しまった。今日はロロのチケットの発売日なのだ。急いでサイトにアクセスしたら、そこまで良い席ではないけれどチケットが取れたのでほっとした。もう11時か。今日は新宿でラーメンを食べるつもりだったのに、これじゃ時間が微妙だな。録画しておいたバラエティ番組を見て、朝飯のフルグラを食べて、何気なく見た「コントが始まる」第6話におもわず不意打ちを食らい、メンタルがぐちゃぐちゃになる。もう、こんな風になるなら予めそういう予告をしておいてくれよな......。

 

 

家でゴロゴロするのにも飽きてきて15時、遂に外に出ることを決意。今日は遂に、多分1カ月ぶりに新宿に繰り出すのだ。外に出ると天気は生憎曇り、でも太陽の匂いは伝わってくるので、じきに晴れてくるだろう。駅前のスーパーマーケットでお気に入りの葡萄ジュースを買おうとしたら、既に販売を中止していた。とても美味しくて気に入っていただけに、悲しさが込み上げてくる。仕方ないから梅ジュースを買って、飲んで気分を入れ替える。電車は空いていた。座ることはできないけれど、人と触れ合うほどの距離感ではなくて、一部の人間の自粛の影響なのか、それとももともと人が少なかったのか。どちらなのかは定かではない。

 

 

新宿駅に降り立つ。鬱蒼とした雰囲気が漂っていて、人、それも家の近所では見かけないような、あまり関わりたくないような人間がそこらじゅうで歩いていて、「ああ、新宿だ」と嬉しくなる。東口をずんずんと歩き、東口の本屋さんへ突入する。およそ1カ月ぶりの本屋さん、ラインナップはそこそこ新鮮で、別に買うわけではないけれど本を眺めているだけで幸せな気持ちになる。ふと穂村弘の棚を見ていたら、既刊本の大半にサインが付与されていた。最近発売された「きっとあの人は眠っているんだよ」のサイン本を書くついでに、既刊本にもサインを書いてくれたのだろう。それらの大半は既に電子書籍で所持しているけれど、紙、それもサインがついている。無駄だとは分かっているけれど、欲望を1ヶ月近く抑え込んできた私の精神状態はぎりぎりで、たくさんのサイン本を前に、精神は崩壊した。気づいたら大量の文庫本を抱えて、嬉しそうに階段を降りる男がいた。私だった。本を買うのってこんなにもワクワクすることだったんだ。節約節約と縛り付けてきた精神が今、解放されて清々しくなっているのを感じる。

 

 

<購入した本>

穂村弘「きっとあの人は眠っているんだよ」(サイン本)
穂村弘「世界音痴」(サイン本)
穂村弘「現実入門 ほんとにみんなこんなことを?」(サイン本)
穂村弘「ぼくの短歌ノート」(サイン本)
穂村弘「短歌の友人」(サイン本)

 

 

その足で東口の本屋さんへ。こっちでは「三体」の最新刊のサイン本を受け取りにいくだけのつもりだったが、本を眺めているうちにまた購買意欲が押し寄せて来て、もう......。筒井康隆の文庫本が出てるし、石川宗生の旅行記のサイン本があるし、和山やまの新刊が出てるし。一時間以上も店内をうろうろしたあげく、思う存分、今まで我慢していた分を取り戻すかのように、節約なんて文字は頭から排除して、欲しい本を好き勝手買った。両手にぎっしりと本の重みを感じていると、ああ、これぞ生きていることですよな、としみじみしてくる。この本の重みイコール私の人生の幸せ、みたいなところがあるので、たまには、たまにはこうやって欲望を発散させてみるのもいいかもしれませんね。

 

 

<購入した本>

劉慈欣「三体Ⅲ 死神永生(上)」(サイン本)
石川宗生「四分の一世界旅行記」(サイン本)
東浩紀「ゆるく考える」
筒井康隆「世界はゴ冗談」
千早茜「正しい女たち」
C・J・チューダー「白墨人形」
和山やま「女の園の星(2)」
荒木飛呂彦ジョジョリオン(26)」

 

 

ほくほくした気持ちで電車に乗って、帰路に着く。新宿を徘徊している間はずっとSIX LOUNGEを聴いていた。あと1週間したら遂に「3」のリリースツアーに参加できるのだ。ああだこうだと世間は騒がしいけれど、ほぼほぼ通常通りにライブが開催されている現実がこのうえなく嬉しい。明日は横浜で東京初期衝動のライブがあるの、今からワクワクしている。DOORSでのライブがさいっこうにかっこよかったので、また彼女らのライブを観れるだなんて、最高すぎやしませんか、人生。明日がライブ当日なのに、この文章を書いている5月29日20時46分現在まだ対バンするゲストが発表されていないのはなんで?もしかしたら明日はワンマンライブになってしまう可能性もあるの?よく分からないな。そして今一番気になっているのは、今度の火曜日におそらく開催されるであろうピロウズのライブである。緊急事態宣言はまたもや延長されたので、ライブの終演時間は20時までにしなければならない、そのためには開演時間が19時では遅すぎる、18時にはしないといけないのだ。そうなるとするととある手段を使わなければいけないのだけれど、まだピロウズ側から開演時間が早くなるというアナウンスがないので、どうなることやら。延期で、都合のつく日程になるのがベストなんだけれど、延期することでバンド側に負担がかかるので、できることなら早めに開演時間が早まることのアナウンスをしていただきたいです。

 

 

家に帰ってからはだらだらとネットの海に溺れていた。ああ、こうやって無為なことをして大事な大事な休日が過ぎ去っていく。もし結婚してて、幼い子供を育てているような状況だったら、こんな風に休日は過ごせなくなるだろう。好きな時間まで寝て、好きな時に好きなところへ赴いて、好きな時間に帰ってきて、好きなことを好きなだけしてから夜遅くに寝る。こんな最高な休日、結婚したらもう過ごせなくなると思うと寂しくはなるけれど、でも早く結婚して安心したい気持ちのほうが強い。もし私の周りの人間が結婚していなかったらこんな焦りを感じることはなかったのだろうけれど、私の周りの人間のほとんどは既に結婚しているので、こんな焦りを感じざるをえない。今付き合っている彼女とこのまま結婚出来たらな、と思っているけれど、結婚の前にそもそも相性があっているのかということにうんうんと頭を悩ませているので、結婚なんて当分は先だろうな。うん。

 

 

私はいまでも他人の心や気持ちというものがまったく理解できなくて、子どものときからずっと、大人しくしてる奴は大人しくしたくてしてるんだろう、友だちがいないやつは別に友だちが必要ないんだろう、遊びにいかないやつは家にいるのが好きなんだろうと、本気でそう思っていた。基本的に、ある状態にいる人は、その状態が好きでそうしてるんだろうとしか思ってなかった。恥ずかしい話だが、大学を出て大学院に落ち、遺跡を掘ったり建築現場で重いものを運んだりバーテンやミュージシャンや塾の講師をしていろんな奴と出会っているうちに、どうしても人とまったく会話ができないけど、心から友だちというものを欲しがっているひと、ほんとうは海やプールに遊びに行きたいのだけど、誰からも誘われないからもとからそういうものには興味がないふりをしているひとというものが、むしろ世の中の多数を占めているということを学んでいったのだ。音楽で挫折し、学問でも挫折したときに、初めての外の世界への窓が開き、彼氏ができなくておしゃれや化粧にもとから興味がないふりをしている女の子にも内面があり、人を好きになり、性欲もある、という当たり前のことを、私は大阪から教えてもらった。

岸政彦「給水塔」(「図書室」所収)p123より引用

 

 

読書は最高で、こんな最高なことを今までサボっていた自分がいかに人生を損失していたのかを思い知っている後悔しているのだ。

 

 

6,151歩