2021年GW8日目
もはや仕事をしている自分という概念を思い出すことができない。こんなにも休んでいると、休んでいる時間が日常になり、働いていた時間が非日常になる。私は本当に働いていたのだろうか。本の読みすぎで、本当は無職の身なのに、その状況が耐えられなくて、都合のいい妄想をしていただけではないのだろうか。
昨日は早い時間に眠りに就いたので、早い時間に起きてもそこまで眠たくなかった。でももうちょっと寝ていたい欲があり、それを優先したら二度寝をしてしまい、ちゃんと起きられたのが10時過ぎだった。今日は動物園に行こうと思っていたのだが、よくよく調べてみると今日は休園で、じゃあこんなに気持ちいいくらいに晴れているのに休みが無駄になってしまうじゃないかと悲しくなった。昨日、松坂屋でサンリオ展を見た時にバンクシー展がボストン美術館でやっていることを知り、見たいと思っていたことを思い出した。バンクシー展は横浜でもやっていたのだけれど、行こうと思っていた時には既に展示が終わっていて、見たかったのにという寂しい気持ちを抱えていた。今日も特にすることがないので、行こう、バンクシー展に行こう。ということで、昨日の北海道物産展で買ったクロワッサンとカレーパンを食べ、少し休んでから外に出た。
昨日、ZARAで買った白の薄手のシャツを羽織って外を歩いていると、あまりにも太陽の光りが強く、汗がじわじわと身体を包んでいった。ほぼ小走りのような状態で歩き、駅に着いて、電車に乗る。名古屋では地下鉄に乗ることが大半なので、外の景色を見ることなく、ずっと暗いトンネルを走っていることが奇妙に思われるし、少しだけ窮屈に感じられた。30分ほど揺られて金山に着き、ボストン美術館へ向かう。バンクシー展は30分単位で入場が区切られていた。GW明けの平日、それもお昼時に人はそんなにいないだろうと高を括って入ったら、そこそこ多くの人がいて、多少の密が生まれていた。あまり呼吸をしないように心がけながら、バンクシーが生み出した作品をぼんやり眺める。今回の展覧会はバンクシー本人に無許可で開催しているそうで、権利やお金の問題はどうなっているのだろうかと妙に気になった。その辺について、バンクシーは寛容なのだろうか。バンクシーについてあまり知らない私でも、彼が創り出した作品はメッセージ性が強く、夢中になって作品を見ていた。おかしな状況を揶揄するような視点、それは柔軟な発想を持っていないと生み出されないものだと思うので、バンクシーは非常に頭の柔らかい人間であるし、自分の創り出した作品が半永久的に残ることなく、すぐに撤去されることにも美術としての脆さがあり、ネットで調べれば殆どのことが分かってしまうネット社会を批判しているように思われた。結構な数の作品をバンクシーは生み出しており、その一つひとつに意味があり、作品の横の説明文を読んでいると、彼の歩んできた道が多少なりとも理解できたので、展覧会に来てよかったと思えた。バンクシー初心者である私でさえも知っているような作品から、今回の展覧会で初めて知った作品を含めて、とても興味深い作品ばかりで、一時間ほど鑑賞していたが飽きることはなかった。展示物の終わりが近づくにつれて、「ああ、もう終わってしまう」と寂しい気持ちになった。観終わって、疲れたのと、興奮で心がぐちゃぐちゃになってしまった。観にこれてよかった。
お昼ご飯、もう金山駅で食べればいいやと思い、金山駅にある韓美膳で石焼ビビンバを食べる。値段相応の味、でもこの値段でこれが食べられるのが名古屋の良さだと痛感する。
昼飯を食べ終えたら、もう金山に用はなかったのでそそくさと後にする。家に帰っても特にすることはなかった。観たいドラマ、あるにはあるんだけれど、わざわざこの休日で観たい気分になれず、自分の部屋でうとうとしていたら夜になった。
夕飯を食べて、のんびりしていたらあっという間に時間が過ぎ去って、24時過ぎ、自分の部屋でああでもないこうでもないと考えあぐねていたら眠っていた。幸せな生活ですね。
5,440歩