眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

2021年4月17日(土)

今日は何もない休日。雨が降っているし、外に出たい気分はない。ただ、家の中にずっとこもっていると気が滅入ってくるので、どこかのタイミングで外に出られれば、と思っている。

 

 

9時過ぎに目が覚めて、それからはずっと起きていた。これといってしたいことはなく、録画されていた番組をだらだら眺めていた。10時になり、何の気無しにネットを徘徊してて、「そういえば来週の土曜日はTHE BAWDIESのライブだよな」と思い出し、なんとなくチケットサイトを眺めていたら、売り切れているはずのチケットが売り出されていて、何も考えることなく購入した。えっ、なんで売っていたの。この間は売り切れていたじゃん。いったいなんなん。とよく分からない感情をぶら下げながら、まただらだらと時間を溶かしていく。

 

 

溶けていく時間の中にだってたまにはキラリと光るようなものがあって、例えばそれは彼女とコミュニケーションを取っているときとか。「今ね、友達とゲームしたり動画を見たりしてるの」と近況報告を教えてくれる彼女、OLさんになったらテキパキと仕事のできるOLさんになるんだろうな。そんなことを考えながら、外に出たい外に出たいと考えていても、体は昨日のライブでくたくたでだるく、また雨も降っていたのでなかなか外に出る決心がつかずに気づけば14時を過ぎていた。お腹が空いていて、それを満たすのさえも面倒になっていた私は、いっそのこと生きることをやめてしまったら面倒だと思うこともなくなるのだろうかと考えていた。外食する元気もなければ、ちゃんとした料理を作る意思もなかったので、冷蔵庫にしまってあった納豆とキムチと生卵をご飯の上にのせて、それを一心不乱に掻き込んだ。こういうのでいいんだ、こういうので、と誰にともなくぶつぶつ呟きながらそれを食べ、あっという間に食べ終えて、でもそこから特にしたいこともなくなってしまった。Netflixに入っているのに、ここ2ヶ月ほどNetflixを見ていなくて、もう退会してもいいんじゃないかと思うほど、私は創作物にあまり興味が無くなってしまったようだ。

 

 

15時過ぎにようやく外に出る決心がつく。溜まっていた洗濯物を回してから外に出る。雨が降ってて、でもぽつりぽつりとした感じだったのでそこまで気負うことはなかった。町の中心部に出ると人、人が普段通りに出てきていて、「マンボーとは一体なんだったんだろう」と思う。もし今後、東京での新型コロナの感染状況がひどくなったとして、3回目の緊急事態宣言が出たとして、その中身が今までと変わらなかったら、もう意味ないんじゃないのかな、と思う。頑張れる人は頑張っているし、頑張れない人もしくは頑張らない人は頑張れないし頑張らない。さっさとワクチンが全国民に行き渡って、そのワクチンが効果のあるものであったら、コロナの前のような生活に戻れるのかな。マスクをしなくても外に出ていいのかな。息苦しいんだよマスク。別に仕事の人間と仕事終わりに飲みたいなんて気持ちはさらっさらないので、コロナが落ち着いても歓迎会とか送別会、慰安旅行なんてものは復活しなくてもいいんだけれど、マスク、お前だけは早々に外させてもらうからな。一時期、ウレタンマスクを着けていたけれど、とにかくあれは臭かった。マスクの品種が悪かったのかもしれないけれど、でもあんな臭いマスクをつけていたら嗅覚がやられていたと思う。だから私は随分前から腐食はマスクをつけていて、それはそこそこ息のしづらいやつなんだけれども、そいつらきちんと私の口を外部から守っている感じがして、でもマスクなんて効果はないんでしょ、ただのポーズなんでしょと思っている自分もいるので、さっさとマスクを着けなくてもいいような世界に戻ってほしいよ。

 

 

いつもの道を散歩して、特に何かを買うでもなく冷やかすでもなく、ただのんびりと歩いているだけなんだけれど、それだけでも沈んでいた気持ちがちょっぴり浮上してきて、「よっ」と気楽に挨拶なんてするものだから、一日中引きこもっているのは本当に良くないことなんだぞ、と今更ながら浪人時代の私に言ってやりたくなった。相変わらず人は歩いていて、マスクをつけていない人、狭い道の上で踊っている人、遠い遠い外国の、貧しい人々の命を守る救うための募金を募っている人、嬉しそうに手を繋いでいるカップル、煙草を吸いながら悪態をついているジジイ、それぞれがそれぞれの生をを生きていて、「ああ、世界だな」と思った。一人で家の中で生きているとそういった人間が世界に存在していることを忘れがちで、自分一人で悶々としょうもないことで悩んだりするんだけれど、そういった人間を見ると俯瞰的に自分の人生を観察できるので、散歩はいいぞ。

 

 

1時間ほどだらだらと散歩して、家に帰ってすぐに洗濯物を干して、もちろん外は雨が降っているので部屋の中に衣類を干した。ここずっと洗濯物は家の中で干していて、それのせいで生乾きのままのやつもあって、そんなことなら外で干せばいいのに、青空の下で干してあげられればいいのに、と思うけれど、もし外に干して隣人から嫌がらせをされたら嫌だな、ただただ苛立つだろうなと思って、だから部屋の中で干すことが私の中での日常になった。今日も奇怪な音、メルヘンチックなピアノの音とともに音痴な女の歌声が聞こえてきて、いつまで夢を追っているんだろう、早く目を覚まして現実に戻ればいいのに、と思うけれど、その女にとってはその世界が現実で、つまりは幸せな日々なんだろう。外野がやいのやいの言うのはお門違いだけれど、でもこのアパートは楽器の演奏可のアパートではないんで、いつまでも音を出し続けるのであれば、然るべき場所に報告させていただきますよ。自分も心が狭くなってしまったな。

 

 

洗濯物を干し終えて、今日が終わる、もう特にすることはないよ、と思いながら、だらだらとジャルジャルの動画を見た。そろそろ本格的に勉強を始めた方がいいのではないか、仕事のことでもそれ以外のことでもいい、とにかく頭を使うようなことをしないと私の脳みそは萎縮していって、最後には小さな爆発を起こして悲しい結末を迎えるのではないかと怯えている。

 

 

午後7時過ぎにスマホがぴろりんと音を鳴らした。「友達が帰ったよー。とても楽しかった。明日は楽しみだね」それはよかった。風邪、良くなっているといいな。こういうときは差し入れで喉飴を渡してあげると喜んでくれるのだろうか。でも風邪を引いている相手に喉飴をあげるなんて少し好意の押し付けが分かりやすすぎるんではなかろうか、と勝手に考え始めてしまって、でもな、でもな、一日でも早く風邪が治ってほしいという気持ちを素直に表現するための喉飴の差し入れだし、疚しい気持ちなんてそんなにはないよ、だから別にそこまでごちゃごちゃ考えないで渡せばいいんじゃないの。「喉飴で嫌いな味とかある?」「抹茶がちょっと苦手かな」抹茶の喉飴なんてあるのかどうか知らないが、それ以外を渡せばいいのかな。いいんだろ。明日の、デートの集合場所へ向かう途中に喉飴を買っていこう。そしてデートの終わりに渡せばいいだろう。本当にそれでいいのか?

 

 

午後8時にお昼ご飯と全く同じものを食べて空腹を満たし、漫画「定額制夫の「こづかい万歳」 ~月額2万千円の金欠ライフ」の1巻を読む。読んでて、そこまで苦労して結婚生活を続けるということは、独身の時には味わえないものがあるのだろう、例えば仕事から帰ってきたら家で待ってくれている人がいるとか、夕飯を一緒に食べる人がいるとか、子どもの成長が自分の一番の幸せになるとか。そういったことは妄想するしかないんだけれど、私ももうそろそろ独身から離脱したいので、今の恋を結婚に繋げられるように努力していく。漫画の話に戻るけれど、最初の方は面白く読めたが、段々と他人の節約術なんて興味がなくなって、1巻を読み終わる頃には2巻を買ってしまったことを後悔した。この漫画を買わないことが、まず節約になるだろう、ということに今さら気付いた。

 

 

bigpopmonster.hatenadiary.jp

 

 

漫画を読み終わって、WEEZERとか最近の洋楽を聴いてだらだらとしているとあっという間に時間が過ぎていってしまい、ああ土曜日が終わってしまう悲しい悲しいとか、雑な感想をぶら下げながら、でも明日はデートなので楽しい楽しい日曜日になる、映画にはそこまで期待していないのでお昼ご飯が美味しいといいよな、と思う。そんなことを思っていたのが22時過ぎで、その時点で結構な体のだるさに悩まされていて、このだるさの正体は昨日のライブと低気圧のせいなんだろうな、だからこそ今日はがっつりと外出しないで良かった、明日のために体力を温存するような過ごし方をして良かったと思っているよ。

 

 

滝口悠生「寝相」がたまらんな。

 

 

4,684歩