眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

生きているって暇なんですよ、結局は。

本当は昨日と今日のことを文章にしたかったんだけれど、それをするほどの体力と気力が残っていない。昨日に続いて今日も残業してしまい、大した事をしていないとはいえ体力を無碍に消耗してしまった。家に帰ってきて、本を読むこともテレビを見ることもできず、ただ音楽をかけてぼーっとしていた。音楽を聴くことすらも体力を消耗させることに気付き、音楽を消した。もう何も考えられない、考えることができない。今日は本当に何もする気が起きない。笑うことすらできず、泣くこともままならず、ただ口を動かすだけで私は満足できるだろうか。

 

 

明日行けば当分は会社に行かなくて済むけれど、もしこれが普通の毎日だったら、私は金曜日まで会社に行く体力と気力が残っていなかっただろう。それほどまでに私の体と心は残業に慣れていないし、残業なんて悪魔の所業に慣れたいとも思わない。今日、というか毎日私の後ろに座っている社員、今日、あと少しで残業が六十時間を超えると嬉しそうに話していた。彼女にとって残業をする事は確固とした、意義のある自分を作り上げる手段でしかなく、どうしたら残業を減らすことができるのか、どうしたら効率よく仕事ができるのか、そういったことが頭にないのだろうか。彼女一人だけに仕事を集中させる組織もどうかしているし、それを甘んじて受け入れている彼女も彼女である。

 

 

そういう私も最近、残業をするような働き方をし始めてしまった。先日、とある社員が会社を辞めてしまい、その社員が持っていた仕事が私にまで波及してきた。私は比較的のんびりとした一日を過ごすことが多く、それを好ましく思っていたのだが、波及してきた仕事のせいでのんびりとした時間が削られてしまっている。割り振られた仕事はそこそこ責任の重い仕事で、一つでもミスを犯してしまうと評価に罅が入るほどで、緊張感をもって対応しなければいけない。暇で暇でしょうがなかった当時の私は、新しい仕事が割り振られて多少の喜びを感じたが、それのせいで時間と心が削られるようになり、できればその仕事をしたくないと思っているけれど、それを決めるのは私ではなく、憎たらしいことこの上ない同期で、勝手に順番などを決めている。先日は一ヶ月のうちで一番忙しい時期に割り振られたものだから、当日は馬鹿みたいに残業をしてしまった。誰もいない職場で、一人コツコツと単純作業を繰り返していることほど虚しいものはない。

 

 

いつまで私は単純作業を繰り返さなければいけないのだろうか。いつになったら頭を使った仕事をすることができるのだろうか。そんなことを考えているうちは頭を使うような仕事を任せられることもなく、ただひたすら雑務を押し付けられるだけだろう。今の会社に居続ける必要は無いような気もするし、ただ今のご時世、転職することも多少の苦痛を伴うだろう。どうしたら良いのだろうか。私はもう疲れてしまった。誰か助けてくれ。そういったことを気軽に相談できるような相手もいない。

 

 

東京に来てから友達という概念は一人もできなかった。できるはずがなかった。作るつもりもなかったし、欲しくもなかった。それは本当のところはよく分からない。ただ隙間なく仕事を押し付けられる、敷き詰められる今の日々は苦痛でしか仕方がなく、こんな日々が日常になるなんて考えられない考えたくない消えてしまえ。新しい仕事が割り振られる前は定時になったらさっさと帰れていたが、今はそういったことも自由にできなくなり、一時間、二時間と残業していくうち、自分の心が擦り減って惨めな気持ちになる。そういう時に仕事の悩みを打ち明けられる先輩がいれば少しは気が楽になるだろう。しかし、私の周りにはそういったことを相談したとしてもきちんと受け止めてアドバイスをくれるような先輩はいないので、誰にも頼ることができず、一人で悩みを抱え込むことになる。そんなことをしていたらどんどん自分を追い詰めていく事はわかっている。けれど誰にも相談できないこの環境を私の力だけでどうすることもできない。私は一人黙々と、訳の分からない仕事を進めていくしかない。不意に躓いてよくわからない人間になれることがあれば、それも慣れてしまえばどうでもいいことになる。私は早く何も感じることなく生きていけるような体と心を身に付けたい。ただそんなものを身に付けてしまったら生きている意味がないように感じられるか。そこに生きている意義が存在するか。そこまでの境地に至るまでに、私は今の会社で同じ仕事をし続けるのだろうか。そんな想像をしてしまっただけで生きている意味が感じられなくなってしまうだろう。

 

 

平日、仕事で疲れて家に帰り、ご飯とお風呂を済ませだけで精一杯で、趣味が入り込むような余地がなく、そんな生活を繰り返していて、もし結婚したら私は私という存在を守りきれるだろうか。ただ結婚というものは恋人がいる私にとってもまだまだ遠い存在で、それは彼女との距離が一向に縮まらないからだ。彼女はとにかく忙しい人で、忙しいといってもそれは彼女が友達関係にしがみついているからで。それとすぐに寝てしまう彼女のせいだった。朝早く起き夜も早く寝てしまう彼女と、平日にしっかりとしたコミュニケーションを取ることは不可能に近い。ならば休日はどうだ。平日で取れないコミュニケーションを休日でしっかり取れればいいのだけれど、休日は休日で彼女は高校か大学の友達と会うことが多い。そのせいで私は彼女と二週間に一回会うのがせめてもの慰めである。平日一往復のLINE。休日三往復のLINE、実際に会うことは難しい。もうこれは付き合っているのかいないのか、よく分からなくなってきた。彼女にとってもそうなのではないだろうか。

 

 

今まで発生したイベント、例えばデートだとか電話は、全て私から仕掛けたものだ。私からデートしよう電話をしようと言ったからそれらのイベントが発生した。もし私が能動的に動かなければ、私と彼女との間にイベントは発生しないだろう。最後に会ったのが一週間前の日曜日だっただろうか、記憶が曖昧で情けない。それから電話をすることもなく、彼女が生きているのか死んでいるのかも分からないような状況が続いている。彼女の顔に関する記憶がどんどん朧げになっていくし、声すらも忘れてしまい、もうこれは遠い遠い過去の記憶の人なのではないかと錯覚してしまうほどに、私は深い森に迷い込んでしまった。

 

 

あと数ヶ月で三十歳になってしまう私は、恋人とこんな悠長な付き合いを続けている場合ではなくて、短期間でぐっと仲良くなれるような、そんな恋人が欲しいと思っていて。では今の彼女とどうしたらいいのか。私が無理に会いたいと言ったとして、それは彼女にとって負担になるだろう。ではもう彼女と恋人の関係を解消した方が良いのだろうか。ただ、今はコロナの状況が酷く、見知らぬ他人と喫茶店やレストランで会って話をすることは非常にリスクを伴う。そんなことをする位だったらもう少し悠長に構えて、彼女と付き合ったほうがいいのかもしれないし、さっさと別れたほうがいいのかもしれない。分からない。

 

 

私には恋愛の経験がほとんどないので、どういったことをすれば恋人と良好な関係を築けるのか、そういったことが本当に分からなくて情けなくなる。恋愛の小説をすすんで読んでこなかったし恋愛のドラマですら見ていても面白いと感じなかった。そんな私だからこんな袋小路にさまよい込んでしまったのだろう。いつになったらこんな袋小路から抜け出せるのだろうか。誰か助けて欲しい、助けてくれ。もうこんなところにいたくない。そう思ったところでそれを相談できるような相手はいない。東京では私一人で生きていかねばならぬのだ。そう思うと無性に腹が立つし、無性に寂しくなるし、無性に愛おしくなる。

 

 

何を書いてるのかいよいよ分からなくなってきた。何を考えてるのかいよいよ分からなくなってきた。明日、何のために会社に行くのかもよく分からないし、明日、何のために目を覚ますのかもいまいちピンときていない。どうしたらいいの。実感のある生活を送るために私はどうしたらいいの。いつまで私は私に自問自答を繰り返さなければならないの。疲れてしまった。もう私は疲れて果てて、前に進みたいという意欲が湧かないの。疲れて、倒れて、起き上がる気力もなく、ただ床の上に転がっていると、床の下から聞こえてくる雑音が私のことを励ましてくれる。それは単なる幻聴に過ぎないし、そんなものに耳を傾けていればいるほど私は赤と青の存在からどんどん離れていく。宗教的な何かに縋り付くのも一つの方法論として考えると正しい。ただ、私にとっての宗教は自分自身でしかないし、それがもし崩れ去ってしまったら、いよいよ生きていくことすらも意味をなさないだろう。そろそろ何を考えてるのか分からなくなってきたし、生きていることに意味を見いだすことがばかばかしく思えてきた。

 

 

明日会社に行って仕事をして、仕事を終えて、家に帰って、お風呂に入って、ご飯を食べて、テレビを見て、本を読んで、音楽を聴いて、そして寝て、その後には長い長い休日が待っていて。でもその休日はちっともワクワクするものではない。実家に帰るのか定かではないし、彼女に会えるかどうかもよく分からない。彼女が元気でいるかどうかも分からないし、私が元気で休日を過ごせるかどうかも分からない。何一つとして確かなものはない、まあそれが人生だと言われればそれまでだが。それだったら別にそんな長い休日はいらない。今まで通り普通に働かせてほしい。長い休日があったとしても旅行に行ったりライブに行ったりできないのなら、それはただただ単なる長い休日であり、長い休日は私の精神を蝕んでいくには十分に価値のある退屈である。

 

 

退屈が人を殺すとはよく言ったもので、仕事が退屈だった頃、私はよく死んでいた。精神的な面もあれば、身体的な面もある。そんなことを繰り返していて、転職を考えていて、でも転職ができなくて、今も同じ会社にいて、それが別に良いとか悪いとかの次元ではなくて、そういったことを話したいわけでもなくて。一体何が話したかったのか。話したい事は特に何もなくて、話したかった事は結局はどっかの誰かが既に話していて。それならば私が今さら難しい顔をして話す必要はないだろう。そんなことを考え始めたら生きている理由なんてなくなってしまうし、そもそも私が生きている必要もない。東京は私の用心棒なのか。六年そこいらの間に、私は私と遠い存在になってしまい、どこかの誰か知らないような他人に成り下がってしまう。誰かの人生を外からじっくりと眺めていたい。誰かの人生に成り代わって、知らないふりを永遠に続けてみたい。そう思うけれど、結局のところ私は私のことが大好きだし、他の誰よりも私のことが大好きな自信がある。そんな人間だから一人の女性を愛する事はできそうにもないし、そんなことを悲しく思うほどの余裕すらもなく、じゃあなんで生きているのか、それはもう私には分からない。

 

 

一体全体、私は今、何を話しているのか。疲れて果てて、支離滅裂なことを話している。それは単なる言い訳で、普段から私の頭には言葉にならないような、感情に置き換えられないような、形にならないような何かがぐるぐるぐるぐる回り続けている。それをうまく自分のものにできればいいのだけれど、そんなことはできるはずもなく、ただひたすらぐるぐるぐるぐる回り続けているそれを眺めているだけで日が暮れる。もう仕事とか会社とか恋愛とか彼女とか家族とか他人とか、そういったものは全部ほっぽりだしてどっか行きたいな。コロナなんてなければヨーロッパに行って自分のことをなくせていただろう。けれどそんなこともできなくなってしまって、じゃあどうすればいいのだろうか、という話。東京の、今まで行ったことのないような場所に行けばいいのか。そんなところを散歩して、とりとめのないことを考えていればいいのか。そんなことをしていても、きっと私は私に満足しないだろうし、人生は豊かにならない。人生を豊かにしようとする考えが傲慢であるし、そんなことを考えている暇があるならば少しは勉強したほうがいいだろう。別になんだってすればいいさ。勉強なんていう固い言葉で表現するんじゃなくて、面白いと思うこと、自分が興味のあることを突き詰めていく、それだけで自分という人間が少しは広がった気がするし、他人に対しても少しは興味が持てるのではないだろうか。そんなことを考えている時点で私は窮屈な人間であるし、そんなことを考えてる暇があるならさっさと行動に移したほうがいい。行動に移すことができないから、こうやってどうでもいいことを口からペラペラペラペラと話し続けて、誰にも話すことができずスマホの前に座って、ただペラペラペラペラと話していて、これが何にもならないこと、何も生み出さないことを知っていて、私は私の口を動かし続ける、もはやこれは止めることのできない体の運動であり、外部要因が私を止めることをしなければ私は私を話し続けてそのまま存在を消してしまうだろう。Weezerの「OK Human」は2021年を代表する傑作だった。昨日も今日も、どうせ明日も聴く。

 

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