眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

ネットの見過ぎと難聴

最近の私はネットを見る時間が長すぎる。ネットを見る時間が長すぎて、他のことをする時間が圧縮されてしまっている。例えば読書、たくさん借りてたくさん買っているのに2週間で1冊も読めてない体たらく。例えばアニメ、4月から新しいアニメが放映されているけれど、どれ1つとして見れていないし、冬に放送されていたアニメを見通すことすらできていない始末。例えばドラマ、Netflixで見たいドラマはたくさんあるけれど、それらの情報を追っかけるだけで精一杯で、実際に見ることができない。どうしてネットを見る時間が長いのか少し考えてみたけれど、ネットをしている間、何も考えないで済み、それが楽だからついついネットを見てしまうのだろう。平日、楽な仕事をしているとはいえ、定時で帰るとはいえ、仕事をして家に帰る頃には体も心もそれなりにくたくたで、とてもじゃないけれど頭を動かすような余裕が残っていない。それなので頭を使わずとも情報を収集できるネットばかりをついつい触ってしまう。ただネットに載っているような情報は信憑性が低いものばかりだし、一般人の、事実をよく理解していない人間が書いているものばかりなので、そんな文章ばかり読んでいると私の心は荒んでいく一方である。村上春樹だっただろうか、彼はネットをほとんど触らないという。ネットには一般人のしょうもない文章しか載っていないから、といったことがどこかで読んだ。だから私は本しか読まないし、テレビなんてものは見ないと書かれてあったような気がする。これはとても曖昧な記憶なので読み流してほしい。私もできることならちゃんとした人のちゃんとした文章だけを摂取したいのだが、疲れているときはそれをすることがなかなかハードルの高い行動で、だからこそ何も考えずとも読むことのできる、ネットのジャンクな文章ばかり読んでいる。最近は掲示板のまとめみたいなのを読んでいる。そこで繰り広げられている、浅はかな人間どもの、互いの足を引っ張り合うような無様なやりとりは読んでいて精神がおかしくなりそうな位だ。けれども彼らが繰り広げている話題は私が今直面していることであり、私以外の人間はそれに対してどのような考えを持っているのかが気になってついつい読みふけってしまい、気づくと3時間とか4時間の時間があっけなく溶けてしまっている。それだけの時間を費やして読んだ文章は、後日、全然思い出すことができないし、不快な文章ばかり読んでいるので気分は悪くなる一方である。こんなことをしている場合じゃない。こんなことをしていられる時間があるなら勉強の1つか2つすればいいのに。そう思うけれど、心も体も疲れがちな私はついつい楽な方へ楽な方へと流されていってしまう。なので、スマホを簡単に触れなくなるような道具を買えばいい。例えば箱の中にスマホを入れて、ある程度の時間が経たないとその箱が開けられないといった道具だとか。多分そういったものはネットですぐに見つかるだろうし、注文すれば次の日には届くだろう。行動さえすれば自分の無駄な行動は抑制できる。ただそんなものを買っているお金がもったいない。ただ無駄な時間を過ごしている方がよっぽど人生の無駄であると思っている。

 

 

ネットにはまりだしたのは高校生の時で、その時は自分のパソコンを持っていなかったので兄のパソコンを渋々ながら貸してもらっていた。家族の共有のパソコンといったものはなく、兄が趣味で使っているパソコンをたまに使わせてもらっていた。ただ兄が家にいない時はパソコンをこっそり使い、兄が帰ってきそうな時間の前に証拠を隠滅して素知らぬふりを突き通した。しかしたまに自分の目論見が外れ、パソコンを触ることができてうきうきして兄の存在をすっかり忘れてしまっていて、兄が不意に帰ってきて、兄にとても怒られた事が何度もある。ただ怒られてもなおパソコンにしがみついていたのは、ネットの世界が現実の世界と比べてあまりにも広々としており、私がその時に欲していた音楽の情報がたくさん入手できたから。その時熱心にパソコンを触っていなかったら、音楽にこれほどまでにのめり込むことがなかっただろう。そう思うとあの時必死になってパソコンにしがみついていた自分に感謝したくなる。その一方で、ライブの行き過ぎでお金が全然たまらない現状を考えると、あの時過度にパソコンに触っていなかったら私はたくさんのお金に囲まれて幸せに生きていただろう、か?私の日々はライブのおかげで潤いを持っていると断言できる。ライブで感じることのできる刺激や幸せは他のことで代替する事は不可能である。ライブで感じられる興奮はライブでしか感じられないし、初めてのライブで感じた興奮を忘れることはない。こんな興奮がこの世界に存在したのかとえらく驚いた記憶がある。初めてライブを行ってからちょうど10年が経った。あれから懲りもせずライブに行き続けている。社会人になったら少しはライブに行くペースも落ち着くだろうと思っていたが、社会人になってお金に余裕が出てくると空いた時間にどんどんライブを入れる私の悪い癖が露出してしまい、社会人3年目とか4年目の時は死ぬほどライブに行っていた。だからコロナのせいでライブが中止になった時、私の耳は平穏を取り戻した。激しい時は週に2回位はライブがあったので、私の耳が落ち着く暇はなく、絶えず耳鳴りや幻聴がしていた。このままだと私の耳は使い物にならなくなるのではないかと不安視されていたが、まだ何とか使い物になっている。しかし何時何時耳が聞こえなくなるか分からない。現時点で、外にいるときは相手の声を聞き取るのが難しい。例えば少しガチャガチャした飲食店で彼女と会話をしている時、相当な集中をしないと彼女が何を言っているのかを聞き取ることが難しい。彼女の声が小さいわけではなく、むしろ一音一音をはっきりと発音してくれるので聞き取りやすいのだけれど、それでもなお集中していないと聞き取りづらいのは、私の耳がだいぶやられている証拠である。あれ、私はもともと何を書きたくてこの文章を書き始めたのだろうか。この文章も昨日と同じように口からでまかせでペラペラ喋っているのをそのまま文章に書き起こしているからなんともまあ支離滅裂な文章になってしまったので、この辺でやめておきます。さようなら。