眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

寝れない2

bigpopmonster.hatenadiary.jp

 

先ほど支離滅裂な文章を書いてから1時間が経った。寝れない。一向に眠気が来ない。私はこのままずっと起きているのだろうか。それはそれで愉快である。私は昼の太陽が照らされている時間より、暗闇に月がぽっかり浮かんでいるひんやりとした夜の時間の方が好きだ。そっちの方が孤独でいる事を肯定されている気がする。私はひとりでいることが好きすぎて、社会人になって周りを見渡すと友達がいなくなっていた。そもそも今まで人生において友達なんてものは存在しなかったのかもしれない。しかし、この日本では、この時代では、友達のいない人間は頭のおかしい人間として扱われることが多く、会社で「お前は友達がいるのか」と聞かれた際、大学の時の同じ部活だった人とは今でも交流があります、と嘘をつく。正確には嘘では無いのかもしれないけれど、私にとって大学の時の人々はすでに他人に近しい。しかしそんなことを彼女に言う勇気がない。彼女と付き合い始めてからはじめてのデートの時、「◯◯さんは友達はいるんですか」とストレートに聞かれた気がする。その時、大学で同じ部活だった人たちと今でも交流があるよと言ったけれど、果たして今の状態のことを交流があると呼んでもいいのだろうか。コロナのせいとはいえ、彼らの中の主要人物とはもう2年ほど会っていない気がする。最後に会ったのが後輩の結婚式で、それ以降はたまにオンライン飲み会をする位。それすらも億劫に感じて、最近は見て見ぬふりをしている。学生の頃であれば気軽に彼らに会うこともできただろうけれど、彼らの大半、というか1人を除いては全員結婚して、1人を除いて子供も生まれているの、で気軽に誘うことはできない。もし誘って話す機会があったとしても、彼らの関心事は育児であり、私はそれに対しての知見がほとんどないので、彼らとは話が盛り上がらないだろう。彼らにとっては我が子の成長が一番の関心事であり、私が興味のある、最近の音楽やドラマ、漫画などは彼らにとっては既に過去の産物になってしまった。思い返してみても大学生の時、私は彼らと何を話していたのだろうか。私はあまり会話に参加していなかったような気がする。よく話す人間の周りで彼らの会話を楽しんでいただけで、そこに飛び込む勇気がなかった。たまにぼそっと、本当にしょうもないことを言って、それで彼らに突っ込まれることがよくあったような気がする。私はそんな立ち位置で大学生活を送っていて、その時はそれがすごい楽しく思えたけれど、今思い返してみると本当にそんな生活が楽しかったんだろうか。そこには私の主体性と言うものが存在しなかった。ただ彼らの楽しそうな雰囲気に交じって楽しそうなふりをしていただけだった。そんなわけで私には友達と呼べる存在がいない。そもそも友達と呼べるような関係性は必要なのだろうかと思う。押井守だか誰だか忘れてしまったが、その人が書いた「友達はいらない」と言う本を読んで、でもそれは極端な言論であったから、まあそういう人もいるのだろうと思っていた。しかし、友達のいない人生を送っていると、そういった本で繰り広げられている言動を支えにしたくなってしまう時もある。ただ、かれこれ社会人を7年もやっているけれど、友達がいなくて寂しいとか困ったとかそういった感情は持ち合わせることがあんまりなく、私は1人で生きててもへっちゃらな人間なのかもしれないとぼんやりと思う。誰かとワイワイするのは楽しいかもしれないけれどらそれよりも1人でのんびり娯楽を楽しんでいる方が私にとっては気楽で最高の時間である。どうせ会社でくだらない人間と本音を隠してコミニケーションを取り、ストレスを抱えているのだから、プライベートの時間ぐらいは人間と接することなく1人でのんびり過ごしたい。そういう風な人間がいても別に誰かに害を与えるわけでもないから、ほっといて欲しいと思うけれど、そういう人間がいるのがたまらなく鬱陶しいと感じる奴もいるのだろう。そういう奴の声は聞きたくないし聞こえるところにいないので全然気にはならないが、たまにそういった声を聞くと、ああそうか、私も友達がいなかったのか、それが寂しかったり悲しかったりした方が彼らにとっても愉快なのだろうかと思うが、そういった感情を持ち合わせることがほとんどないので、彼らの期待に応えることができそうにない。一体私は何を書いているのだろうか。この文章は前回の文章と同様に、キーボードでタイピングしているのではなく、口から一発勝負で発しているものだから、辻褄が合わない部分があったり、よくわかんないところがあったりする。なので、こんな文章は読んでも読まなくてもどっちでもいい。こんな文章を読んでも何も得るものはないだろう。私自身、一体なんでこんな文章を作っているのか不思議である。ただ私の中には外部に吐き出さないとどうにかなってしまいそうな感情とか思いがあって、それをこうして言葉にして何とか精神の安定を図っているのだと思う。普段はそういったことを意識することはないが、文章を書くことが日常でなくなってしまうと無性に辛くなってしまい、文章を書かないと自分は社会で生きていくことができないと痛感する。早くドロップアウトしたい。会社で働いていても私のしている仕事が有意義なものだとは感じられないし、この仕事をしたところで誰かを幸せにするとも感じられない。毎日のように繰り広げられる、数字と数字の組み合わせを見ているだけの時間は本当に虚しくて、こんなことをするために生まれてきたんじゃない。ただどういったことをするために生まれてきたんだと問われたらそれはちょっとわからない。そんなもの存在するのだろうかと戸惑うだろう。戸惑ったところで別に良いのだけれど。人生に正解を求めるほど愚かではないので適当な塩梅で手を打っているが、精神が揺らいでしまう時はその辺にあるそれらしい正解に縋りつきたくなる。そんなことをしたところで後で虚しくなるだけなのだけれど。この文章は一体何なのだろうか。何かを目的として書き始めたものではないので終着点がわからない。ただこんだけ文章を書いていてすでに午前3時を過ぎたけれど、いまだに眠気が来ない。むしろ先ほど文章を書いた時よりも目が冴えてきているのはもう私に終わりが来ている証拠なのかもしれない。

 

f:id:bigpopmonsterpro:20210425025841j:image