眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

寝れない

午前2時を回ったけれど寝れない。眠気が一向に来ない。日中、膨大な睡眠をしたわけではない。ただお昼過ぎにちょっとだけ寝たのが原因しているかもしれない。それと夜に鑑賞したライブの興奮がまだ残っているのかもしれない。それとは別に将来に対する不安があって、それのせいで頭が落ち着かないのかもしれない。その全部かもしれないし、それらは一切関係ないかもしれない。どうでもいい。明日は休日なので別によふかしをしても構わないか、お昼過ぎに演劇を観るので、それに支障がないほどの睡眠はとっておきたい。つい先ほど。緊急事態宣言が発令されたが、明日見る演劇はギリギリのところで開催される運びとなった。その演劇の最後のほうの日程は中止になってしまい、ギリギリ観れることを嬉しく思う。と同時にチケットを買ったけれど観ることが叶わない人のことを思うと、そして劇団のことを思うと切ない気持ちになる。この気持ちは一年前の同じ時期にも感じていて。その時のほうがもっと絶望じみていた。1年も経ったと言うのに状況は好転しておらず、それどころかより一層国民に、会社に無理を強いている。その状況が腹立たしくてしょうがない。いやこんな話をしたいわけではなかった。私は眠れない。早く寝たいのに。いつもだったら小説を読んでいるうちに勝手に眠くなって、適当なところで寝そべっていたらすぐに寝てしまうのだけれど、今はどうしてか頭が明晰になっており、一向に眠れる気配がない。このまま朝まで起きていられるような気もする。そんな事はなくてあと10分もすれば眠気に襲われる気もする。よくわからない。どうしたらいいんだ。1週間ほど前から小説を読んでいて、その小説は簡単な物語に起こすことができず、とにかく細かい描写がたまらなく気持ちいい。こんな小説を読んでいる時、私は読書の楽しみを感じる。私が楽しいと思える読書は他人に簡単に伝えられるような物語を読むことではなく、自分1人だけでニヤニヤしてしまうような細部のこだわりであったり、そういったものの積み重ねで、これ人間が本当に創作したのだろうかと思うような、そういった類の物語を読むことである。最近は読書をすることがほとんどなかったのでそういった作品に出会う事はなかったが、とある映画をきっかけで読み始めた小説家の小説がすこぶる私のやらかい部分を絶妙に突いてきて、あーこんな物語ならずっと読んでいたいと思えるほどに、最高で最強である。ただそういった物語を存分に味わうためには精神的にも体力的にもちゃんとしていなければならず、最近の私は仕事とか恋愛に疲れてしまい、存分に楽しむことができなかったかもしれない。そんな万全の状態ではなかったにもかかわらず、最近では味わうことのなかった刺激をその小説を読んでいてたくさん感じた。私に最近足りなかったものは読書だったんだと言うことを久しぶりに思い知らされた。読書は私にとってのつっかえ棒であり、読書がなかったら私と言う存在も存在しないに等しい、と言うのは言い過ぎだろうか。言い過ぎだろ。言い過ぎた。すいません。こんなくだらないことを言っていても一向に眠気が来ないのは外を散歩しろと言うことなのだろうか。今日は隣から一切音が聞こえない。女が男の所へ泊まりに行っているのだろう。もうずっとそうしてくれればいいのにと思う。夜寝ようと思っている時間帯にたいてい彼らは大きな声で話をしていて、それが気になって眠れない。夜は眠たいのですぐに寝るのだけれど、それが気になってストレスになっているの確かである。もうこの家に住み始めて一年以上も経つけれど、彼らはいつまでこの家に住むつもりなのだろうか。2人で住むには狭いと思うが、家賃が安いから住んでいるんだろう、どうせ。こんな話をしている場合じゃない。私は早く眠りについて、明日の観劇を充分な精神状態で見たいのだ。しかしそういう時に限って眠気は一向に訪れず、いつまでもヘンテコリンなことを考え続けるのだろう。

 

 

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