眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

2021年3月16日(火)

出勤。今日は在宅が良かった。今日はライブの予定を入れていて、17時に新宿ロフトで開演するものだから、おちおち会社にいる余裕はなかった。それだけれど在宅ではないので、大人しく出勤した。よく動く人々はほぼ出社していて、だから共有の仕事はしなくて済むだろうか、と予想したが、各々が自分の仕事だけをしていたので、仕方なく私が共有の仕事を一気に平らげた。集中して取り組めば30分もかからないような仕事を、普段はどうして5人がかりでちまちまやっているのだろうか。生活残業、という言葉が一瞬浮かんで、すぐに飲み込んだ。共有の仕事以外は自分の仕事を淡々とこなしていった。(本当にこれ、自分の仕事なのだろうか?)と疑問に思う仕事もあったが、だれもしてくれないので自分がするしかなかった。集中して仕事をしていると最後の彼女のことを考えなくて済むので気が楽である。何もしていないとついつい最後の彼女のことを考えて、この間のデートも幸せだったな、とか、今度のデートでうまく告白できるだろうか、とか、そんなことをぼおっと考えてしまうのです。お昼、お腹が空いていたのでいつもの海鮮丼屋へ。ホールの人が変わり、居心地がぐっと悪くなった。注文を聞きに来るおばさん、いやおばあさんは耳が遠いのか、何度オーダーを言っても「はあ?」と訊き返してきた。紙にオーダーを提出するのにすればいいのに。あと、店長みたいな人も以前のてきぱきおじさんじゃなく、おどおどおじさんになっていて、ホールがうまく機能していないので、キッチンの職人さん方がぴりぴりしていて、その場にいるのが窮屈だった。海鮮丼の質もちょっと下がったかな、もう当分は来なくていいや、と諦めの気分で会社に戻った。ちょっとばかり休憩してから午後も書類整理など、雑務をこなしていった。だいぶ前から見て見ぬ振りをしてきた書類がみるみるうちに片付いていくのは爽快で、こんなことならもっと前から取り組んでいれば良かったな、と思った。定時になったらダッシュをしようと決め込んでいて、いざ定時になると、人の合間を縫ってダッシュした。勿論今日のライブの開演時刻には間に合わなかったが、CRYAMYのライブにはなんとか間に合ったので良しとする。

 


ライブが終わり、帰りにラーメンを食べたい気分であったが、たかはしは閉まっていたし、利しりはたくさんの人でごった返していたので、大人しく帰宅した。昨日の鍋の残りにキムチを幾分か付け足して温めたものを夕飯とした。ふっと心が軽くなって、スマホを見てみると最後の彼女からLINEが来ていた。最後の彼女からはいつも同じ時間帯にLINEが来て、一日にその一通しか来ないことになっていた。前回のLINEで私は「水族館の近くに商業施設があり、たくさんのお食事処があるそうです。〇〇さんが食べたいものはありますか?」と送り、最後の彼女からは「こんなにお店があるんですね。迷いますね。当日、ふたりで決めるのはいかがですか」と来ていて、胸を撃ち抜かれた。ふたりで決める、とは良い響きである。いろんなお店を見て回り、ああでもないこうでもないとお店を決めあぐねる時間もまた乙なものになることでしょう。それにしても前回のデートに引き続き、次回のデートも雨になるというのはどういった了見なんだろうか。雨だとどうしても屋内での行動に縛られてしまうし、次回のデート場所の付近には屋内で告白できるような場所があまりないので、どうしたものか、と悩んでいる。土曜日に一度ロケハンをしてみるのもいいかもしれない。ここで集合して、ここでお茶を飲んで、ここで告白を......、と考えていると緊張してきた。今までの人生で2度目となる告白は成功するのだろうか。

 


ライブの時に生ビールを飲んでしまったので、心身がふやけていて、だから自然と床に寝そべって、音楽を聴きながらうとうとしていたら眠ってしまっていた。ふっと起きると23時を過ぎていて、完全に目を覚ましてしまっていた。眠気覚ましにぐびぐびと水を飲み、ロフトに上がって、滝口悠生「茄子の輝き」を読んだ。とうとう読み終わってしまった。最高の読書体験となった。ほぼ同じタイミングで読み始めた村上春樹の現時点での最新作よりもぐっと優れていて、ああ、私にはもう春樹は合わなくなってしまったので、とちょっぴり寂しい気分になった。今、カフカを詠んだらどんな気分になるんだろうな。「茄子の輝き」はバツイチ男の元妻、そして元職場の同僚に対する未練みたいなものをだらだらと書き綴ったもので、そんなテーマなら読んでてもあまり面白くもないだろうに、この小説家は独特の語り口と切り口で、読み応えのある小説に仕上げていた。こんな骨のある文章を書く小説家を知らなかったことがなんだか恥ずかしく思えて、本を読み終わったらすぐに布団に潜り込んだのに、眠気はなかなか訪れてくれなかった。26時をとっくに過ぎているというに、隣からは女の声だけが明瞭に響いていた。

 

 

 年に何日あるかないかのこんなに気持ちよく晴れた日に、天気など関係なく悲しみに暮れている人も必ずいるはずなのだと空を見ながら思うことがそのような人にとって何の役にも立ちはしない。ただいつか自分や、自分の家族や友人が、同じような立場になって、この真っ青な高い空と、澄んだ空気で色や輪郭の濃くなったみたいに見える草木や街の建物とを目にしながらも、その色彩や空気の清々しさがいくらも心を晴れやかにしない日があるのかもしれないと思うことくらいしかできない。草木や建物が鮮やかであればあるほど空気が澄みやかであればあるほど、その風景の濃い影にはいつか訪れるそんな日が残酷に潜んでいるかのように思われる、とそう言うことはそんなに難しくなかった。実際にはそんなこと思わずに気持ちいい一日。何の不安もない一日が過ぎていく。

滝口悠生「文化」p210

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