眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

文章を書く時間がなかった

言い訳と言えば言い訳だろう。正確に表現するなら「忙しい仕事でくたくたになった身体で文章を書くことができなかった」だろうか。

 

 

ここ数日、鬼のように仕事が降りかかってきた。ルーチンワークならそこまで苦労することはないが、新規の仕事だったのでそこそこ四苦八苦しながら進め、残業も惜しまなかった。そんな過激な仕事を終えて、くたくたの身体と心ではお風呂に入ってご飯を食べることで精一杯、文章を読んだり映像を楽しむ余裕はなく、そうなると必然的に文章を書くことが出来なくなった。日々、いろんなことが私の目の前で起きているにもかかわらず、それらを描写することができないのはストレスになった。ストレスになるくらいなら文章を書けばいいのに、と思うけれど、一度文章を書かなくなると文章を書くことのハードルはぐんと上がってしまい、些細なことですら書けなくなってしまう。

 

 

ああ、私はこのまま文章を書くことなく人生を終えてしまうのだろうか、と思うと寂しさがじわりと滲んできて、そんなのは駄目だよ、くだらない文章でもいいから何か書こうと思い立ち、ほうほうの体で今、この文章を書いている。ここまでで500字弱書いたが、文章を書くことはやっぱり面白い。自分の奥底で潜んでいる感情とも言えないようななにかが発掘されていく様は爽快だし、今まで抱いていた固定観念がぶち壊されてしまうときには思わず涙が溢れそうになる。こんな大切な営みを私は自ら放棄していたのだ。

 

 

時間がないだなんて甘えで、作ろうと思えば時間は無限に生み出せることができる。ネットでくだらない記事を見ているその時間は本当に無駄で、だから呟きのアプリを再びアンインストールした。ゴシップを垂れ流すくだらないサイトも訪問しないようにして、まっさらな時間、文章を書くでもいいし読むでもいい、とにかく自分が楽しくなれるような時間をこれからたくさん設ける。

 

 

あと少しで私は30歳になってしまう、30歳になってしまうのに今の知識の量、経験の量でいいわけがないと思っていて、ではどうしたらそれらを改善できるのかを考えたら、人生から無駄な時間を減らすことがとても大事だと気づいた。そして、自分が疲れないような生き方をすることが大切なんだとも気づいた。苦手な人間が近くにいると緊張して心身が摩耗してしまうので、できるかぎりそういう人間に近づかないとか、離れることが難しい場合は発想を変えてあまり負荷がかからないようにするとか。目を酷使してしまったら遠くをぼんやりと眺める時間を多めに取るとか。そういうことが積み重なっていくことで体力は青色のままでキープされるだろう。

 

 

あとは体力をつけるだけだ。走ろう、走り続けよう、生身の体で。