眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

たぶん、最後のデートになる

明日、とある女性とデートをする。それがうまくいけば一番いいのだけれど、もしそれが儚く散ってしまったら当分デートはしないだろう。コロナのことが気になってきて、普段どういうことをしているか知らない女性と話すことでコロナに感染してしまうのではないか、ということが気になり始めた。それとマッチングするまでの虚無、マッチングしてデートの約束をするまでの虚無、それに耐えられなくなったから。それと人とのコミュニケーションについてちゃんと勉強したくなったから。

 

 

今日、坂元裕二「花束みたいな恋をした」の映画を観て、「恋愛っていいよな。でも恋愛からするっと結婚へと辿り着くわけでもないよな」と改めて痛感した。彼の作品を観終わった後はいつも清々しい気持ちになる。久しぶりにパンフレットを買ってしまうくらい、素晴らしい作品だった。映画を観終わって、ふと今までのデートのことを思い返していた。とても無難な会話しかしてなくて、無難な会話は私自身も興味がないのでそれに対する相手の会話にもそこまで興味が持ててなかった、という本末転倒なことをやらかしていたことに今更気付いた。

 

 

初めてのデートでするべき会話とは、みたいなことを本やネットでは饒舌に語られていて、それらにはいきなり深い話をすると引かれるので、まずは天気の話や昨日あったことを話して徐々に距離を近づけていきましょうと書かれていて、女性との会話の経験がここ数年殆どなかった私はそれを盲信してしまった。それらの話題でなんとか話題は持つけれど、そんなのは息を吹きかければすぐに消え去ってしまうほどに脆い存在である。そんなしょうもないことで限られた時間を消費してしまうくらいなら、私と相手に共通すること、例えば「一人暮らしあるある」であるとか、「仕事でどんな苦労を抱えることが多い」とか。それらなら私も興味があるし、相手がそれらのことを話しているときは興味津々で聞けると思うのだ。話を聞いているときに素直に、心の底から共感できる話題を自分から振る、というのが今までのデートで出来てこなかったことで、それに加えて、私のことを恋愛対象として意識して欲しいから、ちょっと距離が近づいたかな、と思ったら恋愛に関する話もしたい。恋バナは私だって大好きだから、その恋バナを今まで接点がなかった女の子と話すことが出来るなら、それはもう本当に素敵なことだと思うのです。

 

 

明日はもう、気負うことなく、いつも通りの自分で、相手の話をしっかりと聞いて全力で共感し、かつ自分のことも多すぎない量でお話し出来ればな、と思う。どうせ時間とお金をかけているのだから、楽しまないと損ではないか、と思った次第です。そろそろ寝ないと、マカロニえんぴつを聴きながら、付き合ったらあんなデートこんなデートしたいな......、と妄想をふくらませている場合じゃありませんな。楽しみだから、布団に入ったところですぐに寝れるかどうかは不安です。でももうやっていくしかないでしょう。以上です。