眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

マッチングアプリに出会いを求めるのは間違っているだろうか

10日間、マッチングアプリを触ってみて気付いたことは、自分一人で抱えきれない孤独を紛らわすために他人を利用していたということだ。そろそろ30歳になり、周りは続々と結婚、出産していき、一方私には恋人すらいない、そんな状況が私を寂しくさせ、寂しさを抱えたくなくて安易にマッチングアプリを使ってしまった。たくさんの女性に「いいね」を送り、少ない女性と途切れ途切れのやり取りをして、連絡先を交換できると思った矢先にバックられ、ほとほと人というものが嫌いになりました。私は一人で生きているほうが楽なんじゃ、と自分に言い聞かせて、これ以上他人を求めないように強固な殻を自分の周りに作る。陽の光が入ってこない殻の中では、どんなことをしても他人に咎められることはない。一日中布団の中でだらだらしてていい、好きなだけ本を買っていい、ラーメンを我慢しなくていい。好きなことを好きなだけしている人生はさぞかし最高だろう、と考える。一年、三年、五年、十年と時間が経過していくにつれてそれらに夢中になれない自分がいる。集中力がなくなってしまい、一つのことに1時間も費やすことが出来なくなっている。ふと周りを見渡すと和気藹々としている家族がいて、家族ばかりがいて、どうしようもないほどの虚無感に襲われる。どうしたらよかった、あの時に必死になってパートナーを探していれば、こんな現実を飲み込む必要なんてなかったのに。虚無に虚無を積み重ねても虚無ならば、いっそ虚無にまみれて全てなかったことに出来たらいいのにね。疲れた、他人のことを考えて動くということがこれほどまでに私を疲弊させることだということをすっかり忘れていた。誰でも出来るような仕事をして嬉しそうにしていた、あれはまるで笑えない喜劇のように塵となって消えてしまうだろう。どうしてもここに辿り着く運命だったならば、少しは自分の事を認めてあげられれば息がしやすいだろう。疲れたなら休めばいい。一人でいる選択も、二人でいる選択も、どちらも正しい。人生に正誤を持ち出すのは、心が弱い証拠だから。強固な心を一生懸命に作ろうとしていたら、遠い遠いところまで来ていた。もう引き返すことは出来ないね、楽しいことだけしていたかったのに。人生はままならない。