眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

過去を思い出すときにコロナが頭を過るのが不愉快

マスクを着けるということが子どもの時から苦手だった私は、風邪を引かないように半袖半ズボンでやり通していた。その結果、あまり風邪を引くことはなく、「冬男」という、そこまで嬉しくないあだ名を頂いた。それはさておき、そろそろコロナ騒動が私の生活を侵食してから1年が経つ。騒動が始まったときはここまで長続きするとは思っていなかった。「夏にずっとマスクを着けているなんて、熱中症になってしまうよ」なんて気楽なことを考えていた。夏になり、秋になり、冬になっても騒動が収まる気配はなく、それどころかより酷くなっていく一方で、ああ、もう、労働なんてものはしたくない、そこそこ貯金があるから人里離れたところで10年くらい、細々と生きていきたいね、と思っている、割と本気で。(私のとっての)東京に住むことのメリットに、地方では味わえないイベントがたくさん開催されているというのがあるけれど、密になる状況は避けなければならないのでイベントは開催されないのが是となっている、ふざけないでほしい。私が東京に住む一番の目的であるイベントが開催されない、そして開催されたとしても息苦しいなかでのそれならば、もう無理に東京に住まなくてもいいだろう。別に今勤めている会社に定年まで勤めあげるつもりはないし、状況は刻一刻と変化しているので、ここで思い切った決断をしてみるのもいいかもしれない。流されてきた人生だった。ここで一度、自分の人生に刺激を与えてみるのも面白いかもしれない。失敗するかもしれない、でも失敗することを怖れていたら人生なんて面白みに欠ける。

 

 

去年の3月辺りからマスクを着けていてそれからずっとマスクを着けている。なので、去年の3月以降の記憶はマスクを着けていて息苦しい、眼鏡が曇る、そんな記憶で頭の中がぐちゃぐちゃになっていて、どれがどの時の記憶だったのか曖昧である。デマが流れてトイレットペーパーが店から無くなるとか、現代でもそういうことがあるのかと面白い体験もしたが、殆どは灰色、思い出したところで苦虫を噛み潰したような気分になるので、あまり思い出さないようにしている。家にずっといて、韓国ドラマばかり観ているだけで人生を終わらせたくなかった。散歩をしよう。