眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

すっきりした

平日に有給休暇を充て、久しぶりに小旅行をしてきた。電車に1時間半以上も乗ることは今の私には新鮮で、平日でコロナのせいか電車はすかすかだった。「温泉に入ること」と、「お昼ご飯に蕎麦を食べること」だけを決めて、細かい予定は決めなかった。せっかく日常を離れているのでスマホは出来る限り触らないようにして、外の景色をぼおっと眺めていた。ぼおっとしていることにはすぐに飽きて、過去の事や未来の事、現在の事がぽつりぽつりと思い浮かんでは消え、また思い浮かぶのは楽しいものである。目的地に着くと、人がいないところをえんえんと歩いた。普段だったら音楽を聴きながら歩くのだが、自然の音を聴きたかったのでイヤホンを耳に突っ込まないで歩き続けた。川が流れる音、鳥が囀る声、風で木々が揺らめく音。たくさんの音に溢れていて、それを聞いていると自然に身体の緊張が解れていった。ずんずんと険しい道を歩くのも新鮮で、30分ほど歩いていると冬なのにいい具合に汗をかいた。温泉に浸かってぼおっとしているときが今日一で幸せな時間であった。烏の行水、と親から揶揄されているように、私は長時間お風呂に浸かっているのが苦手な人間だったが、歳を取ったせいか、それとも解放された場所で久しぶりに温泉に浸かるからか、1時間ほども温泉に浸かっていた。温泉から上がる頃には手の指がしわしわになっていた。そのあとはマッサージ椅子に座り、えんえんとマッサージを受けた。普段は聴かないような音楽を聴き、ぼおっとしていると普段は考えないようなことが思い浮かんで、それらを自由自在に組み合わせていくのは愉快だった。お腹が空いたので昼過ぎに有名なお蕎麦屋さんへ行き、とろろ蕎麦を啜っているともうこれ以上の幸せはないよ、というくらいに幸せの度合いが上がっていった。帰りは鈍行電車で帰った。人は殆ど乗っておらず、一車両を一人で貸し切っているような状態で、ここでもスマホを覗き見ることはしないで、音楽を聴きながらぼおっと外の景色を眺めていた。次々の流れ去っていく景色を見てて、たくさんの人が私の知らない場所に住んでいる、生活を営んでいるということが今更ながら思い知らされて、なんだか手が温かくなるような気分だった。2時間ほど電車に揺られていると、普段の自分の感覚はなくなっていた。当たり前のように接していたもの・ひとが当たり前ではなくなっていた。一種のカタルシスのようなものを感じ、こういう時は突拍子もない行動を取ってしまうことが往々にしてあるので、興奮を抑えて急いで家に帰った。身体を消費した後の家で過ごす時間も格別に良かった。身体を休ませる場所、という意味合いがより濃くなり、ここで暮らすことに面白さを感じた。考え方が180度変わったわけではない。物事に対する向き合い方がちょっとだけ変化しただけ。それだけなんだけれど、明日も生が続いていくことにわくわくしているし、自分の知らないことをもっともっと知りたい味わいたい、という気持ちが非常に強くなっている。明日はあまり天気がよろしくないので(雪が降るかも)、家で一日を過ごすことになるかもしれない。今の興奮した気分をより濃くしたいなら、今まで一度も訪れたことのない場所をつらつらと歩いてみたいけれど、体力が十分残っていることと、散歩するのに適切な天候であったら散歩しよう。すごくすっきりした気分で時間が流れている。昨日まで夢中になっていた韓国ドラマには夢中に慣れず、文章を書くことが普段以上に面白くなっている。ずっと取り止めのないことを書き続けていた。