眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

他人の家

子どもの時から他人の家に行くのが楽しみで仕方がなかった。まず匂い。何が要因かは知らないけれど自分の家とは異なる匂いが家の中に充満しており、それを余すところなく嗅ぐことで家に対する期待値が上がった。次にどのようなものを家に置いているか。自分の家には置いていないような珍しいものから、自分の家にあるものが置いてあるのを発見すると、なんでか知らんけれど興奮した。次に家の間取り。何LDKなのか、お風呂やトイレはどのようなつくりなのか、はたまた友達のお父さんお母さんの部屋に入ったときの、得も言われぬ背徳感。私は友達の家に行くたびに興奮して、遊んでいる内容なんてあまり頭に入ってこなかった。今自分は自分の家ではなく他人の家に存在している、という非日常感に憧れ出したのは自我が芽生え始めた幼稚園の年少の頃で、友達と勝手に友達の家に行って親には驚かれた。最近は他人の家に行くということが当たり前ではなくなり、せいぜい祖父母かいとこの家に行くくらいであるし、何度も伺っている家である。しかし、行くたびに、「こんなものが置いてあるんだ」と勝手に興奮している。他人の家に頻繁にお邪魔するような仕事、例えば清掃の仕事とか、そういったも仕事に就いていたらもうちょっと日々にハリというものが出来ていたのかもしれない。