眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

文章に触発されて文章を書いている

4日連続でお酒を飲んでいて、それはあまり喜ばしくないことなのだろうけれど、今の私はお酒を飲むことでその前の時間を区切るようにしている。家にいるときの私は人と交流することのない、自分の好きなものだけをだらだらと楽しんでいる人間で、そうした生活を送っていると時間の区切りというものがなく、だらだらから抜け出すのが容易ではない。そういうときにはそのままだらだらを続けるか、一度睡眠を挟んでしまうかするのだが、ここ数日はお酒を飲んで区切っている。缶ビール一本で顔が真っ赤になってしまう低燃費の私は、兄に貰ったお酒を飲み、「相変わらず苦いな」と顔を顰めながらぐびぐびとお酒を飲み、その日の体調が悪いとそのまま顔が火照ってぼおっとして寝てしまうことがある、それは期待していなかったことなのだけれど、そういうこともあるよね人生だから、と安易に結論付けてしまうのも楽しいと思っている。

 

 

私の文章は一人称や語尾が頻繁に変わる、それは確固とした自分を持っていない証であり、それは子供の時から変わらない、誇りを持っていいと思えるぶぶんである。中学生の時に塾に通っていて、そこに通った理由は兄も通っていたというものだけれど、そこに3年生のときに入った私は数名しかいない他の塾生と馴染めなくて、それが嫌である辞めたい、と塾長に申し出た。「寂しくなったらこれを読んでみなさい」と塾長に渡されたのは星新一ショートショートで、既に星新一は通り過ぎた身としては面映ゆい気持ちになったが、それはそれでそういう思い出があった、ということで今でも心の底に沈殿している。晴れて第一希望の高校に進学することが決まり、「最後だから」と塾生と先生とで塾近くのお寿司屋に行き、好きなだけお寿司を食べた。なんでも食べていい、ということだったので、普段は食べない一貫で100円するお寿司を乱発した、それは中学生の私にとっては大いなる贅沢であった。

 

 

土曜日の夜、「プルーストを読む生活」という読書日記を読んでこの文章を書こうと思って、だらだらと脈絡もなく文章を書くというのは極上の愉悦で、それが興に乗るとどれだけ楽しい本を読んでいるときよりも楽しい気持ちが強くなって、このままずっと文章を書き続けられればいいのに、と切に願う。そういった瞬間は最近の私にはなく、毎日文章を書くと決めたことによって文章の幅が狭まった、それはどうにも面白くないのでどこかで打破したいのだがそれはどうしたら打破できるのかまでは真剣に考えていない、忙しくない日々に安易に埋没している私は文章を書くことに対して改めて真剣に考えなければいけない局面に立ち向かっているような気がしている。このブログを始めた当初は毎日更新するつもりはなくて、何かしら思うことがあったときに書くという感じであったが、途中から、「毎日続けたい」という我の強い私が姿を現して、1年以上毎日更新している。正直、1ヶ月ほど文章を書かずにいられればどれほど安穏とした暮らしが手に入るだろう、と思っているが、一度始めてしまったことはなかなかやめることは出来ず、今日も凝りもしないでよく分からない文書をつらつらと書いている。誰も読んでいないことを考えて好き勝手書いているが、もしだれかがこの文章を読んでいたら、それはそれで愉快な気持ちになる。例えば今住んでいるところから遠く離れた場所に住んでいる人がこれを読んでいて、「こんなことを考える人間もいるのだな」と思っているとしたらそれはどれだけ面白いことなのでしょうか。

 

 

2月に開催予定である同期の結婚式は断った。メールで欠席の旨を伝えるのは失礼だろうと、夜11時に電話をしたら彼が電話に出た。「おめえが電話を掛けてくるなんて珍しいでねえか、どした?」と言っているが、どうして私が電話を掛けたかの想像はついていただろう。新型コロナの感染が広がっていて、とてもじゃないけれど結婚式には出られないよ、ということをオブラートに包んで報告したら、「そうか、ちゃんと電話で伝えるってえのはいいな。しょうがねえ、こればっかしはしょうがねえな」と言い、2分で電話が終わった。彼によると結婚式はこのまま強行突破するとのこと。愛知県でも緊急事態宣言が発令されたが、去年の4月ほど深刻な感じはないので、そのまま開催するだろう。同期の彼の結婚式で知り合いの結婚式は一区切りつく、兄の結婚式が7月か10月にあるがそれまでにコロナが落ち着いてはいないだろうけれど、なので結婚式はもう私にとっては縁のないイベントになるだろう。自分自身の結婚式は多分今のままが継続されたら開催されない、うっかりしているとこのまま一人で生きていくことが確定路線になってしまいそうで、それはそれで一つの選択肢なのだけれど、それはちょっと寂しいというか、些細なことでも話し合えるような、結婚相手というよりもこの人生を一緒に生きていくパートナーというものが身近にいてくれたらどれほど頼もしいのだろうか、でもそのようなパートナーが出来るような努力を私はしていなくて、暇な時間は本を読んでいるかドラマを観ているか、一向に外に出て人間と交流をしようとしないからまだまだ一人の時間が続きそうであった。

 

 

お酒はまだ飲み切れていない。