眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

2020年12月22日(火)

「騙す算段なら最初から
君の脳内に溶け込んで
ねじを巻いたのは僕の仕業
永劫他人の僕の仕業」

 

8時過ぎまで寝ていて、それでも寝足りないのは昨日のライブではしゃぎすぎたから。こんな遅くまで寝ていられるのは在宅勤務だからで、今日を在宅勤務に設定した過去の自分に感謝した。上司にメールを送り、仕事を始める。たくさんの睡眠を摂取したのに、体は怠さを訴えていて、思うように頭は動かなかった。そんな頭でも特に支障を来さないほど、今の仕事はイージーモードで、いつになったらノーマルモードになるのか待ち構えている。待っているのではなく、自分から「イージーモードからノーマルモードへ変更してください」と上長に訴えるべきなんだろう、まだぬるま湯に浸かっていたいのでそんなアピールをすることはないのだが。ただじっと、暇であることを悟られないように器用に立ち振る舞うだけである。時間は過ぎていく。暖房をつけているにも関わらず家の中は温まらない、外が寒いせいだろうか。温度を上げてみるも、室温が劇的に温かくなるということはなかった。時間は過ぎていく、少しずつではあるけれど。取り合えず今日中にしておかなければいけない仕事を終わらせた私は清々しい気分になって、外の工事の音があまり気にならなくなっていたことに今更ながら気が付いた。もうそろそろ工事も終わりなのだろうか。アパートというものはこんな呆気なく出来てしまうものなのか、と思うほどにあっという間に出来上がっていく。隣からの声も聞こえてくることはなく、なんだかこの家が素晴らしいもののように思えてくる。寒いのは致し方ない、電気カーペットでも敷いてみれば少しは暖かくなるだろうか。せっかくボーナスが支給されたんだから、ちょっとだけ贅沢をしていいのではないか。と一瞬だけ考えたが、普段から本を買ったりライブに参加したりと十分に贅沢をしているので、ボーナスを支給されたからと浮かれている場合でない。そんなことを考えながら雑仕事をこなしていたらお昼になったので、散歩がてら外に出た。

 

 

今日はまだぽかぽかしていたので、散歩には最適だった。予約していた本が6冊準備出来たというので、図書館へ行った。館内は人が疎らで、ちょっとでも呼吸をしたら館員に叱られそうなほど静かだった。スムーズに貸し借りを終え、途中にスーパーへ寄ってから家に帰った。昼ご飯はそろそろ賞味期限がキレそうなタコキムチを黙々と食べていた。食べ終わって、異常なほどに喉が渇いていた、塩分の摂取過多で体を壊さないうちに食生活を見直さなければ。うとうとしているとお昼休みは終わって、仕事に戻った。まだ倦怠感は残っていて、欠伸を噛み殺しながら仕事を淡々と進めていく。音楽を掛けるほどのテンションでもなく、黙々と数字を打ち込んでいるとどうしようもないほどの眠気に襲われて、冷水でばしゃばしゃと顔を洗った。眠たすぎて、目は真っ赤に充血していた。時間は過ぎていく。職場では食べられないような、咀嚼音が甚だしいお菓子を食べてもよかったのだけれど、昼ごはんを食べ過ぎたのでお腹は全然空かなかった。仕事を終えるとちょうど定時になって、「お疲れ様でした」と上司にメールを送って今日の仕事は終わった。来月の在宅勤務のスケジュールはまだ決まっていないが、果たして来月も在宅できるのか。正直どっちでもいいような気がしている。在宅が始まったときは電車に乗らなくて嬉しかったが、家だと職場に比べて集中力が持続しないし、緊張感もなかった。それと、家で出来ることには限界があるので、在宅に倦んでいる自分がいて、それはそれは贅沢なことですね、と皮肉ってやりたかった。

 

 

夕飯をわざわざ作ることが面倒だったので、昼に続いてタコキムチと白米、それにサラダとかを食べた。白米に飽きていた、かといって麺類もそこまで食べたいという気分にはなれなくて、じゃあ一体私は何を食べれば満足するのだろうか。もうそんじょそこらの料理では、私は満足しなくなってしまったのかもしれない。なんとも残念な現実である。夕飯もついつい食べ過ぎてしまって、「かりそめ天国」の年末3時間スペシャルを眺めながらうとうとしているのが最高に幸せだった。お酒の力を借りなくても、ポカポカした気持ちになって、こんなことなら人里離れたところで孤独を愛でながら生きるのも良いかもしれない、という発想に至った。21時過ぎくらいに猛烈に眠気が襲ってきて、ちょっとだけのつもりで椅子に凭れ掛っていたら寝落ちしていた。ふっと意識を取り戻したら23時を回っていて、ニュースはどこもかしこもコロナのことばかりでうんざりしていた。コロナのせいでCDJが中止になって、年末年始に東京に残る理由がなくなった。かといって、ここ1カ月で怒涛のように帰省しているので、わざわざ律義に帰省するのもなんだかおかしな気分だった。試験が終わって1カ月以上が経過しているのに全然簿記の勉強をしていなくて、それがずっと頭の片隅でちょんちょんと気になっていたので、年末年始休暇に一気に勉強し直してみるのもいいかもしれなかった。わざわざ帰省したら2万円もかかるので、そのぶんを他の有意義なことに使いたい気分だった。

 

 

急に読書をしたい気分になって、町屋良平「ふたりでちょうど200%」を読み始める。今回はバドミントンとダンスがテーマで、読んでいていつも思うのだけれど町屋良平は物語を語るぶぶんが他の小説家に比べてあまりにも冗長すぎて、でもそれが彼の文章たらしめていることにも能動的に気づいていた。最初の物語では潰れかけの出版社に入社する主人公二人がバドミントンやダンスを通じて自分を理解する、相手を理解するという過程が読んでて心地よかった。読んでて面倒だけれど読まずにいられないのが町屋良平の文章で、だから24時を過ぎても集中して本を読んでいた。3つめの物語でちょっと飽きたので今日はこれくらいにする。このままの調子で読んでしまったら明日中には読み終えてしまう、でも読み終わっても私の手許にはたくさんの「読まれたがっている本」があるので、年末年始、それどころか来年の年末年始まで困ることはないだろうと確信している。

 

 鳥井は、菅の発言内容ではなく、発言方法に原因がある、と考えた。周囲とうまくことばがつうじていない。独自のひろやかな空白で万人うけする声ではあるが、こういうせせこましいコミュニティではよくもわるくも「指導」されてしまう。もっとおもってもいないことをいうときの声をつくらなければ、この先ずっとどこへいっても「指導」されてしまうだろう。しかし鳥井は菅が気安いし、営業部も既に鳥井より菅のほうが気安く感じている。ようするによくもわるくもなく弄りやすいわけで、つい話しかけてしまうし話しかけさせてしまう。そうした菅の性質をして鳥井はのちに「おまえ、さてはパーティー気質だな」といった。
「なん、それ」
「いや、おれも人生でいまはじめて発した言葉だ。それにしても」
 よく生きているなあ、と鳥井は菅にたいしておもっていた。視界を捉えるすべてが新鮮で、次の一歩を踏み出すごとに地面を延ばしているよう。世界をつくっているようだ。とにかく一秒先の出来事にもあたらしく出会い直すような、菅の素直に不気味な愛着をおぼえつつ、気持ちのどこかが反発した。 

 町屋良平「ふたりでちょうど200%」p20,21

 

 

本を一時中断すると急激に睡眠、読んでいるときは感応させられなかった衝動が一気に押し寄せてきて、それに抗うことなくぼおっとしているのは人生の贅沢であり、それを中断してしまうほど私は馬鹿ではなかった。ということで、寝落ちしてしまうわけであるが、どうにも寝落ちというものは人を駄目にするようで、久しぶりだからそこまで駄目ではないが、これが3回、4回と続いていくと歯止めがかからなくなって、次第に寝落ちすることが「是」となってしまう、それだけはどうしても避けなければならないと心の底では気づいていた、でも寝落ちは実際のところでは気持ちよくて、誰も私の寝落ちを食い止める術を持っているものはいなかった。