眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

2020年12月16日(水)

「現時点に執着なんてない 僕よ 走れ」

 

幸せな夢を見ていた。もうちょっとだけ見ていたかったが、無情にも朝はやってくる。3度目のアラームでなんとか体を起こし、朝飯のフルーツグラノーラをもそもそと食べた。弁当箱に具材を詰めながら、(そろそろ手作りのものを入れてみたい)という野心が燃え上がっていた。来年は料理を極めたい。いつも通りの時間に家を出て、いつも通りの時間の電車に乗って(今日も混んでる)、いつも通りの時間に会社に着いた。今日は私のチームはフルメンバーで、でも各々の連携は一切取れていなかった。もはや「チーム」と呼ぶことが憚られるほど、それぞれがばらばらな方向を見ていた。メールを見ていると、Z君の警告メールが来ていることに気付いた。「皆さんが共有の仕事をしてくれないから、一部のメンバーが残業して困っているんです。頼みますから、ちょっとだけでも共有の仕事をしてください」と彼は訴えていたが、彼自身もそこまで共有の仕事をしているわけではなかった。上から目線のZ君は今日は在宅勤務で、そんなに共有の仕事に関心があるなら共有の仕事をするためだけに会社に来ればいいのに、と思った。自分が完璧に出来ていないのに、先輩方に警告を発する彼はふてぶてしさを存分に育んでいるようだった。そのふてぶてしさを象徴するように口髭を蓄えていて、それはなんとも彼を貧乏臭く見せていた。そんなしょうもないことはさっさと忘れ、私は私に与えられた仕事をこなしていった。今日は手持ちの仕事が欠乏していたので、間延びし過ぎて本来の形が分からなくなっている仕事をこなしていった。歪んでいく時間の中、自分が出来ることを精一杯してみたつもりだけれど、あとでそれらを見返したときに感じる絶望は筆舌に尽くし難いもので、だから出来る限り全力で臨まないようにしている。7,8割の力で事に臨むこと、敢えて最初から余力を残しておくことで、不測の事態にさらされた時にも柔軟に対応出来る体力が残っている方がいいだろう。一瞬一瞬の積み重ねで時間が流れて行くということが未だに腑に落ちていなくて、間延びした時間がだら~んと伸びている印象で時間を把握している。子どもの頃は今とは違った感覚で時間と向き合っていた、もっと無邪気に時間と戯れていた記憶がある。今はせかせかと、「成果を出せ。成果を出せ」と急き立てられるようになって、それが嫌で営業職を拒み、運良く経理へ異動出来た。今も「成果を出せ」とどやされたらうっかり泣いてしまい、自我を保つことが出来ないかもしれない、それほどに私は他人から好きでもないことを強要されることに慣れていない、そんなものに慣れる必要はなかったのだった。経理に異動出来てよかったと異動したばかりの頃は思っていたが、経理経理で悩みは尽きないようだ。ただ営業のしんどさと比べたら経理の悩みは今のところおままごとなので、一日でも長くこの緩い生活が続いていくことを願っているし、上司にもそれとなく伝えている。昼休みになって、弁当(唐揚げ、ポテトサラダ、純豆腐チゲ)を食べる。休みをだいぶ挟んだので久しぶりな感じがあった、結構な量があるのだが食べ終えても満腹にはならなかった、私の胃袋は間延びしてしまったのかもしれない。UVERworldを聴いて、日曜日のライブへのモチベーションを上げていく。でも、果たしてライブは行われるのであろうか。東京では今日も過去最多の新型コロナ感染者数を叩き出し(678人)、そろそろライブをするのが難しくなってきているような気がしている。これが4月だったら、「自粛しろ、自粛しろ」と自粛警察がやかましかっただろう、彼らは今どこで生活を営んでいるのだろうか。「THE ONE」の曲が好きなので、このアルバムからたくさんやって欲しいけれど、そもそも年末のライブのセットリストはどのように組んでいるのだろうか。思い出の詰まった曲をたくさんやるのか、最新形の彼らを存分に見せてくれるのか。過去のセットリストを見れば大体の予想はつくかもしれないが、曲を演奏した時の「おっ、これが来たか!」という興奮を味わいたいので、そんな無粋な真似はしません。わくわくしているけれど、果たしてライブは行われるのか。そして年末の大型フェスよ......、こちらの方がもっと叩かれそうなので中止になりそうで怖い......。

 

 

午後の部が始まって、出来損ないの手品のようにコピーロボットと井戸端さんが職場から消失し、私とおジイさんだけになってしまった。仕事を始めようとしていたらおジイさんが、「ああ、井戸端さんの言伝だけれど、書類の整理をしておいてほしいんだって。今日中にだって」と言われ、沸々と湧いてくる怒りを相手にしていても仕方がないので、倉庫にしまってある手つかずの書類をたくさん持ってきて、せっせと整理を始めた。この作業をしていると意味という言葉をうまく飲み込めなくなる、目の前の視界がぼやけてどうにも居心地の悪い気分になる。1時間ほど作業をして飽きたので、共有の仕事をこなしながら、自分の仕事も同時にこなしていく。ふと、なんでこんなことをしているのだろうという虚無に襲われて、一瞬のうちに時間が飛んだ。定時になっていた。一言も発することなく会社を後にした。寂しさの濃度が異常に濃かったので、新宿へと向かった。

 


新宿は今日も人で溢れかえっており、前を進もうにも人人人、私もその中の一人であった。ぎゅうぎゅう詰めになっているぶぶんもあって、そこからは押し潰される圧力に耐えかねて呻き声をあげる者も数名いた、誰も彼らを救うことは出来なかった。なんとかして東口の本屋へ着き、2階へと急ぐ。うっかりサイン本情報を見てしまって、それがどうしても欲しかった、寂しさを紛らわしたかった。3冊も買ってしまった。嬉しくて、涙が出そう。

 

 

<購入した本>

松重豊「空洞のなかみ」(サイン本)
黒木渚「本性」(サイン本)
ヰ坂 暁「僕は天国に行けない」(サイン本)

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家に帰りついて、夕飯にたらこマヨパスタを食べて、読書を訥々と進めていく。ラーラ・プレスコット「あの本は読まれているか」は頗る面白い。明日で読み終わってしまいそうで、寂しい気分になる。

 

 

 自分の本当の望みは実現しないとわかっていた。それでも、やはりそれがほしかった。興奮、居場所、冒険、予期したもの、予期しないものを。わたしはあらゆる矛盾、あらゆる対極がほしかった。そういったものすべてを、いっぺんにほしかった。現実が自分の欲望に追いつくのを待てなかった。その欲求はいつも自分のなかにあり、内に秘めた心の状態として、わたしにあらゆる反応を過剰に分析させ、あらゆる決断を疑わせていた。それこそが、薄い寝室の壁の向こう側で母が低くいびきをかいているとき、わたしが夜眠れないまま自分の頭のなかで交わす会話を生み出していたのだ。
 わたしは人がそれをなんと呼ぶか知っていた。忌まわしいもの、倒錯、逸脱、堕落、醜行、罪。でも、わたし自身はそれを、わたしたちを、なんと呼ぶべきかわからなかった。

ラーラ・プレスコット「あの本は読まれているか」p281より

 

 

明日は在宅勤務なのでのほほんとした気分でいた。ずっとこの気分が続けばいいんだけれど、人生はたまに無慈悲な要求をしてくることがあるから、常に注意を払っておかなければならない。いつなんどき、後ろからぐさっと来るか分かったものではない。今は今までの人生の中で極端に緩み切っている時間で、だからついつい、「まだ大丈夫」となってしまいがちだけれど、やつらは急に襲い掛かってくるから、油断は禁物なのである。

 

 

眠たさが身体中にぎゅわっと漂っていて、椅子に凭れているのがあまりにも心地よかったから、何度も繰り返している過ちを犯してしまった。次の日がしんどくなるのは分かっているのに、だからこそこの背徳感溢れる寝落ちという行為がなかなかやめられないのだろう。