眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

長期休暇になると退屈な文章しか書けなくなる

普段から退屈な文章しか書いていないだろ、と言われてもしかたのないようなとりとめのない文章ばかり書いているけれど。普段からぼんやりしている頭は、長い休みになるとより一層靄のかかったような頭になり、そんな頭で書いているわけだからどうしても退屈な文章になる。同じことを何度も繰り返し書くような、そこに抒情性を見出してほしい、と思うのは私の勝手である。茫漠と広がった時間の中に揺蕩っていると、普段は思い付かないようなことを思い付く、でもそれを文章に変換することは難しく、それとは関係のないことを文章にしていると退屈なものに仕上がってしまう。それをそのままネットの海に上げるのは忍びないが、他に書けるようなことが思いつかないのでそのまま上げることにした。

 

 

翻訳の文章は私には退屈、難儀で、読んでいると退屈な頭になっていく。わたしの生きているところから遠く離れたところで起きていることを自分に置き換えるのは難しく、異物を異物として自分の中に取り込むのは大変に疲れる。最後まで読み終えて、「結局何だったんだろう」と今まで読んでいた文章のことをちゃんと理解していないことに気付く。私にとって海外文学はまだまだハードルの高い文章で、だからこそ来年こそは積極的に読んでいきたい。

 

 

私の周りにいる人、例えば職場でもいいけれど、その人の思っていることを訥々と記した文章をたくさん読みたい。Twitterのような限られた文字数ではなく、ブログのように何千文字を書いても許されるような環境で書かれた文章をたくさん読んでみたい。普段話すことのないあの人がどんなことを考えて生活を暮らしているのか、気になるしそれを読み込んでその人のことを知った気になりたい。私は遠いところに住んでいるであろう、実際に見たことがない人の文章ばかり読んでいて、それはそれでいいのだけれど、いつでもいいから近い人の文章をたらふく読みたい。私の文章はあまり読んでもらいたくはないのだけれど。