眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

2020年12月14日(月)

「少しずつ変わっていく物憂げなこの世界
それでも変わらないメロディーが僕の心を打ち抜いた」

 

ふやけていた休日のことを今更書こうだなんて、なんて恥知らずなことをと糾弾されるかもしれないが、毎日日記を書かないとむず痒い私はそれでも日記を書かなければいけない。昨日のうちに書いておけばよかった、一人暮らしの家にたどり着いたのは22時頃だったし、そこまで疲れていなかったので十分にその日のことを書くことは出来た。それでも書かずに翌日にツケを持ち越したのは、森博嗣のクリスマスプレゼントを夢中になって読んでいたからである。曖昧になった記憶をたどりながら、昨日のことを書く。

 


9時頃に目が覚めて、でもせっかくの休みなのでだらだらしていたい欲望があり、それに抗うことなく10時まで寝室でだらだらと起きていた。「喫茶店に行くの?」と家族の声が聞こえてきて、そういえば昨日、明日は喫茶店のモーニングを食べるだなんて言ったけれど、今はもうそんな気分ではなかったのだ、「今日はやめておくよ」と消え入りそうな声で答えた。10時過ぎにようやく起きて、食卓に置かれていた山型の食パンを食べて、バターを塗りたくったのは2枚食べた。それとサラダとスープを食べたら満たされた。いつまでもだらだらしているのはいけないとは思うけれど、一度だらだらし始めたらそれを止めることはなかなかに難しい。家族が家に居なければだらだらするのに飽きて、外に出るなり家で本を読むなりするのだが、家には家族が配備されており、いつまでもだらだらしていたかった。だらだらしていた。だらだらするのは別にそこまで深刻に捉える事ではない、だらだらすることで救われる命もある。そんなことをだらだら考えて、家族と話していたらお昼になった。家族は今日も味噌煮込みうどんを食べていた、私は折角名古屋に帰って来たのだから、しかも今日は平日なので「からみそラーメンふくろう」を食べたい気分になった。平日だからと油断して、昼のど真ん中に行くと行列に並ぶ恐れがあるので、14時40分に店に着くようにした。さすがに店内には私しか客がいなかった。「すいません、ランチのライスサービスは終わったんですよ」ということだったので、大盛りのからみそらーめんを注文。少しして2人連れの客が来て、物珍しそうに店内を眺めていた。「全部で何店舗あるんですか」「ライス欲しかったー」とマスクを着けずに話していたので気になったが、店員がすかさず、「店内でお食事のとき以外はマスクを着けて頂くよう、お願いしております」と言ってくれて、彼らもそれに従ったので、安心して過ごすことが出来た。待望のからみそラーメンが届き、一心不乱に食べる。前回は「熱い」という感想が邪魔だったが、今回はただただ美味しという感覚だけが体を支配していた。まずスープを啜る、それだけで天にも昇りそうな気持になる。次に6倍のからみそを麺に混ぜて啜る。ふあっと広がるからみそと、縮れ麺が上手い具合に絡み合って、ただただ「美味しい」という感想だけが頭を支配して、それだけをただ持続させるだけ。一滴残らずスープを飲み切ると体中から汗が噴き出して、体がちょっとだけ元気を取り戻したような気がした。15時を過ぎていたので、食べ終えたら急いで店を出た。自転車が一心不乱に走っていて、それとぶつかった。その衝撃で、今までの記憶が全部なかったことにされそうになった。なんとか世界に留まった。

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家に帰り着いて、満足のお腹をさすりながら、うとうとしていた。このまま眠ってしまったら夜になってしまって、東京へ戻ることが出来なくなるのが怖いので、目だけはしっかりと開けていた。時間はあっという間に過ぎていく、明日のことを考えればさっさと家に帰った方がいいのだけれど、でも次に実家でのんびり過ごせるのはいつになるか分からないので、一秒でも長く、家でだらだらしていたかった。コーヒー牛乳を飲んで勢いをつけると、外はすっかり暗くなっていた、17時過ぎ。もそもそと鞄に今回の収穫物(ジョジョ6部など)を詰めていき、詰め終わって、ちょっとだけだらだらして、でももうそろそろ家に行かないといけない時間になって、とうとう家を出た。駅へ向かう途中に仕事帰りの兄に会った。電車を何本か乗り継いで、名古屋駅へ着く。新幹線の切符を買って、数分後に新幹線に乗って東京へ向かう。月曜日、20時過ぎの、名古屋から東京行の新幹線なのにそこそこ人間が乗っていた。小声で喋っている女らがいた。それを気にすることなく「あの本は読まれているか」を夢中になって読んだ。どんどんと面白くなっていく、果たして本は届けられる場所に届いて読まれるべき人に読まれるのだろうか、とはらはらした。

 

「わたしたちの考えが正しかったかどうか、どうしたらわかるの?」全員に対してあれこれ検討してから、わたしは聞いた。
「正しいかどうかは重要じゃない。どんなタイプの人間かということを素早く評価するために必要な情報を得ることが大事なの。人は自分でも知らないうちに、自分について多くのことを明らかにしてるものよ。単にどんな服装をしてるか、どんな外見かという以上のことをね。だれでもすてきな青と白の水玉ワンピースを着て、シャネルバッグを持つことはできるけど、それでその人が新しい人間になれるわけじゃないわ」わたしはメイフラワーホテルでの自分の格好口に出されて赤面した。「変化というのは内面から出てくるもので、それがあらゆる動き、仕草、表情に反映されるの。ある人間が異なる状況においてどのように行動するかを考えるためには、その人が何者かということをある程度、理解していなければならないのよ」サリーはわたしを真っすぐに見つめた。「そして、あなたがだれか自分ではない人間になりきらなければいけないときに、どのように行動するかを考えるためにはね。何もかもが変わるわ---煙草の持ち方も、笑い方も、シャネルバッグのことを言われて顔を赤らめるかどうかも」サリーはわたしの肩を小突いた。「あたしが何を言ってるか、わかる?」
「変化は内面から始まる」わたしは言った。
「そのとおり」


ラーラ・プレスコット「あの本は読まれているか」p224,225より

 

途中で読書をやめてUVERworldを聴いた。次の日曜日に彼らのライブに行くということがまだ信じられなくて、でももう残りの日数は少なくなっていた。そんなときに、以下のニュースを見つけてしまった。

 

 

www.jiji.com

 


動き出すの、相変わらず遅すぎるね。これのせいで直近のライブが中止になってしまうおそれが出てきた。どきどきする。年末のフェスなんて、暇人たちの標的にされてしまいそう。せっかく2日分のチケットを取って、自分のタイムテーブルを組んだのに、やっとKing Gnuが見れるのに、中止になってしまわないですよね。ああ、私の年末が。

 


21時過ぎに東京駅へ着き、安心感が私を取り囲んだ。やっと一人になれるのだ、という嬉しさが徐々に込み上げてきて、私はいつの間にか一人で生きるのを渇望していたことに気付いた。いつもの電車に乗って、電車に揺られながら外の景色を眺めていると、私と東京を隔てる輪郭が曖昧になっていき、自分という存在が東京に吸い込まれそうになった。途中、本屋へ寄って森博嗣の年末のエッセイ本を一日早く購入した。家の最寄り駅へ着き、コンビニでCDを受け取り、ようやく家に到着。22時を過ぎていた。部屋は冷え切っていて、とても私を歓迎してくれるような雰囲気ではなかったが、それでも一人になれるということ、静かな環境に身を委ねられることがたまらなく嬉しかった。すぐにシャワーを浴びて汚れた体を綺麗にし、QUEENをBGMに先程購入した森博嗣の9作目となるエッセイ本「ツベルクリンムーチョ The cream of the notes 9」を読み始めた。想像していた通り、コロナに関することが結構書かれており、森博嗣はこれに対してこのように考えているのか、ということがようやく知れて満足した。それ以外の話題についても彼なりの思考が窺えて、大変幸せな時間であった。20コほど読んで、このまま一気に読んでしまうのは勿体ないので、「あの本は読まれているか」を読む。そろそろ大きな出来事が起きてしまいそうでひやひやしている。気づいたら24時を過ぎていて、そろそろ寝ないといけないと自分に鞭を打ち、ロフトに上がった。実家から持ってきたジョジョ6部を本棚に並べると、なんとまあ魅力的な本棚になってしまうこと。本棚を眺めながらうっとりしている間も時間は過ぎていき、24時30分を過ぎたあたりで、(これはまずい)と思えたので、すぐさま部屋の電気を消し、布団に包まって、明日の仕事のことを思いながら眠りに就いた。

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