眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

私はどうしても私でいることから逃れられない

0時を過ぎた時間に飲むお酒は格別で、でも中毒性があるから極力飲まないようにしてきた。年の瀬だしちょっとくらいいいだろう、という気の緩みで缶ビールをぐびぐび飲んでいたら、私はもう私以外の人生を生きるのは困難なことに気づいてしまった。高校生くらいの私だったら、「目の前にたくさんの道が開けている」と思っていただろうが、29歳になり、自分の人生がある程度定まってしまった今の私はもう変化を望むことが出来なくなってしまった。平凡な人生を生きて終わる。それが容易に予測できてしまい、それを平気な顔して続けていくのがちょっとしんどいくらいな気持ちが芽生えている。どうせ生まれたら生きて死ぬだけ。そこまで簡単に思える瞬間は少ないだろうけれど、そういう風に考えられる時はある程度の余裕がある時で、今の私にはそれを考えても仕方のないことだという諦観が充満していた。

 

 

自分を開いて外に放つ、ということを人間関係で実現することはとうとう叶わなかった。人と深いところで繋がりたい、とは本気で思っていないので別に不満はないのだけれど、一人くらい、人生で一人くらいは自分のありのままの気持ちを打ち明けられるような存在がいてくれたら、少しは気を楽にして生きることが出来たかもしれない。生きているうえでかんじる些細な苛立ちであったり、どうしようもない絶望、言葉ではとうてい表せない喜びをすぐに伝えたくなる存在がいてくれたら、私の人生はちょっとは前向きなものに変わっていたのかもしれない。

 

 

相変わらず自分の本当の気持ちを表現できないままの時間が流れていく、そのことに疑問を持たなくなった。自分の気持ちを表現するのは下品だと思い込み、酔っ払って友達に甘えているような人間を心底憎んでいた。憎んでいたのは、わたしもそんな風になりたかったからなのだろうな。私は人前で酔っ払っても平気なふりをし続けていて、それがあまりにも長く続くと本当の自分というものが分からなくなってしまった。

 

 

私の人生はこれから劇的に変わることはないだろう。変わりたいとも思えない。のんびりとした、今の人生を心のどこかでは愛している。いつまでもこののんびりが続けと願っている。変化なんて起きなくていい、いつまでも平凡な人生が続いたらいい。平凡な人生が幸せなものであることを知っているから、今日も昨日とほぼ変化のない一日が流れていったことを嬉しく思う。私は今、幸せなんだろうな。