眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

2020年12月12日(土)

「思い出したのは その瞬間 知ってたはずなのに 忘れてたよ
スタートしてからの悩みや喜び
あまりに積み重なって 居たからほらね 振り返っても...」

 

休みなので昼くらいまで寝ていてもよかったのに、8時くらいに目がぱっちりと開いてしまったのでそのまま起きていることにする。睡眠時間は十分なものではないから眠たいのだけれど、ここで寝てしまったら今日の夜に大変な目にあってしまうので、なんとか眠気をやり過ごしながら時間が流れていくのを見守っている。朝ごはんは焼きたての食パンにバターを塗りたくったのを食べて、そのあまりの懐かしさと美味しさに思わず嗚咽を漏らしそうになる。東京に帰ったら、オーブンレンジを買うことを真剣に考えよう。朝ごはんを食べ終えても自分の部屋に戻ることはなく、リビングでのんびりとした時間を過ごす。家族同士が話している、その光景を微笑ましく眺めながら、集中力が乏しくなってしまった私はスマホでくだらない情報を嚥下していく。そのどれもが今後の私の成長に繋がるようなものではない、一過性の悦びを与える麻薬のようなもので、そこから離れないと私の人生は非常に退屈なものになってしまうことを改めて実感する。今までスマホでくだらないことを調べていた時間を、本を読んだり音楽を聴くことに充てて実りある時間にしていければいいな、と思っている12月の中旬。ふと気づいたのだけれど、今年も残すところ3週間を切ってしまっていて、今年の記憶というものが殆ど残っていないことを恨めしく思う。記憶が残っていない原因であるコロナの影響は地球で暮らしている誰にもにほぼほぼ平等に降り注いだので、「自分だけが不幸だった」と叫ぶのは安直な行為、でもこんな時代になってだいぶ時間が経っているのにいつまでも居心地の悪い場所に身を置いているのは自分の人生を摩耗させているということに目を逸らしている自分が正しいとも思わない。どのような選択をすれば納得がいくのか、自分の中で定まっていないのに、安直に環境を変えてしまうのはリスキーな行動であるから、私は今の環境に留まることを選んだ。その選択が間違っていないことを信じたいし、間違っていなかったことを証明するためにも自分で道を切り開いていく気概でやっていかなければならないと思っている。いつまでも会社や会社の人間に不平不満を漏らしているだけでは何も変わらない、ということに気付くべきだし、不平不満があるんだったらどうしていくべきか、という次なるステップを踏み出すことが大事なんでしょ。難しいよ、怖いよな。

 

 

床暖房と太陽の恩恵にあずかっているリビングでだらだらと時間を過ごしていてもちっとも前に進むことはないけれど、いつだって前に進んでいることが正しいとは限らないぜ?なんてことはほんの一瞬だけしか考えておらず、大半の時間は、「楽チン楽チン」と思考停止を望んでいる。私はそういう意志の弱い人間なので、影響力の強いもので縛ってあげた方がいいのだけれど、それをしてくれる他人はおらず、自分でするには今は意志が弱すぎるので、見て見ぬ振りをしていた。気づいたらお昼になって、お昼ご飯は吉村屋のインスタントラーメンを食べる。こんな感じだったっけ、という感想と、久しぶりに吉村家に行きたいという欲望が入り混じって、食べ終わった後は複雑な心境になった。量が少なかったので、ちょっとだけ味噌煮込みうどんを食べて、それで満足した。その後も自分の部屋に戻ることはしないで、ぬくぬくのリビングでだらだらと過ごす。こんな風に過ごしていたらあっという間にダメ人間に仕上がってしまう、いや、もしかしたらすでにわたしはダメ人間なのかもしれない、という恐怖を抱きながらもだらだらを止めることが出来なかった。15時前に姉が帰ってきて、折角家族揃っているんだし、ということで遠くにある喫茶店へと足を運ぶ。電車を乗り継いで、目的の場所へ着き、非常に久しぶりの感覚になる。そこはコメダ珈琲の「和」スタイルの喫茶店で、普通の喫茶店では水が出てくるのだけれど、そこでは湯呑みに入った熱々のお茶が運ばれてきて、それだけでもう満たされていた。期間限定の栗のシロノワールと、大福、あとはテキトーに飲み物を頼む。中途半端な時間だから、満席ではない。しかし、後ろの席でガハハと笑いを上げる主婦軍団の圧力はなかなかのものだった。大福とシロノワールが同時に運ばれてきて、大福を焼きながらアイスクリームが溶けてしまわないうちにシロノワールを食べるのはなかなかに厄介な作業だった。シロノワールは勿論美味しいのだけれど、それよりもとても久しぶりに食べた大福、餅があまりにも美味しかったので、東京に帰ったらオーブントースターを買うことを真剣に考えなければ。場所が場所なので縦横無尽に話すことは控え、大福を食べ終えたらそそくさと退散した。後ろで陣取っている主婦軍団の笑い声はより一層、ボリュームを増していた。

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家に帰って満たされたお腹を撫でながら、こんなことをしているくせに運動をしないから全然痩せないんだよ。ということで、近所を散歩することにした。だらだらと歩いていたら可愛い猫がいて、それは野良猫なんだろうけれど最近まで人間が飼っていた雰囲気が漂っていて、寂しい気分になった。しきりにくしゃみをしていたのが気になった。そのまま歩いていると知らないおばあさんに「あっちにもねえ、毛の長い猫がおるよ」と話しかけられる、ここは見知らぬ他人とのコミュニケーションを得意とする人がいるエリアなので、歩く速度をぐっと早めて家路を急ぐ。改めて、自分自身のコミュニケーション能力のなさを恨んだ。恨んだところでしょうがないだろ、今後同じようなことがあった時に上手く振る舞えるように普段から努力をしておかなければ、と一瞬考えたが、別に知らない他人と話したい欲望が私の中にはとくになかったので、そのことについてはすぐに忘れてしまった。そのような性格だから、なかなか人見知りが直らないのだろう。そもそも、人見知りって悪いことなのだろうか?

 

 

相変わらず部屋にこもることはしないで、リビングでだらだらと過ごす。近くにいる家族と思い付いたことをフィルターを通さずに話すのはストレスのかからない所業で、こんな感覚は東京砂漠では味わえないことだと思った。家族以外の人と話す時には緊張感が伴い、自分の本心を伝えられることは殆どないが、今の職場は私語をすると上司に睨まれるし、進んで話したいと思える相手もいないので、口を開くことが殆どなく、そういう状況が続くと声帯が衰えていくだけだ。

 

 

夕飯は牛肉と野菜(玉ねぎとかキャベツとか)をじゅうじゅう焼いて、それをお腹が膨れるまで食べていた。自分で何をしなくても目の前にご飯が提供されることは幸せなことであるということを、一人暮らしをしてから痛感するようになったし、そのような場所が30目前のわたしに存在していることは有難いことであった。夕飯を食べ終えて、別にすることもないのにそのままリビングでだらだらしていた。