眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

2020年12月11日(金)

「明日晴れるのはため息のせいなんかじゃなくて
もっと単純めいたシンフォニー
変わる信号に騙されてるようじゃ君だってまだまだ」

 

午前2時に浅い眠りから目覚める、椅子に凭れて下品な鼾をかいている男がいた。急いで歯を磨き、眠気が全身を覆う前にロフトに上がり、布団に包まった。一瞬にして眠りの世界に入り、すぐに朝が来た。耳に違和感を与えるアラームが鳴り響いて、嫌々ながら目を覚ました。今日の午前中で労働から解放される、そうしたら来週の月曜日まで地元でゆったり出来るのだ。その思いがまるでほかほかのカイロのように私の心を温めていて、だから外に出る勇気が湧いてきた。昨日の在宅勤務で家で仕事をする快適さに気付いてしまった私は、だから電車に乗って会社に行くまでのくだらない時間と労力が我慢ならなかった。運よく車内は空いていて、座ることも叶ったが、それでも電車に乗ることは鬱陶しいことこの上なかった。会社に着いて、始業になり、それからずっと(早くお昼にならないだろうか)とそわそわしていた。午前中だけの労働は消化試合みたいなもので、1分が過ぎるのさえ長く感じられた。今日はコピーロボット、井戸端さん、おジイさんが全員揃っていたが、全員揃ったところで特に何も起こらなかった。互いが互いの仕事に興味を持つことはなく、自分の仕事を黙々とこなしているだけだった。新しく発生した仕事をこつこつとこなしていると、またもや頭痛と歯痛が私を襲った。今回は我慢しようと思ったが、段々と痛みが激しくなることに耐えられなくなって、11時に頭痛薬を服用した。ああ、これで何日連続で頭痛薬を飲んでいることになるのだろうか、頭痛薬を飲むことで体に与える悪影響のことを思うと気が気でなかった。過ぎない過ぎないと思っている時間でもいずれは過ぎていく、たくさんの後悔と恥を積み重ねたうえの時間が崩れていき、ようやくお昼休みになった。「みなさん、それではさような」と高らかに声を発し、私は急いで電車に乗った。

 


平日お昼の電車は居心地のいい倦怠感に溢れていて、うっかり終点まで寝過ごしそうになってしまった。家の最寄り駅に着き、急いで家に帰る。お昼ごはんは今日もパスタ、たらこまよパスタを食べる。それだけだと物足りないような気がして、冷蔵庫に無造作に放り込まれていた総菜を取り出して食べて、そこそこお腹が満たされた。HDDの中身を整理し、ちょっとだけ部屋の掃除をしてから家を出た。電車に乗って東京駅まで行き、いよいよ新幹線に乗ることとなった。1時間30分の乗車時間はちょっとだけ退屈になることは予想されていたので、ビールとおつまみを持ってくればよかったと軽く後悔した。新幹線は動き出して、目的地まで私を運んでいく。ちょっとでも隙間時間が生まれれば実りのある時間を過ごしたい、という一種の強迫観念にも似た気持ちが心を支配していて、昨日から読み始めたラーラ・プレスコット「あの本は読まれているか」を読む。どうしてなのかは分からないが、とっつきづらいはずの海外文学なのにするすると文章が頭に入っていく、文章が頭の中で映像化されてそれを眺めている自分がいた。読んでいて愉快になるような話ではなく、辛い描写も多々あってしんどいのだけれど、話しがどのように転がっていくのかが楽しみで仕方がない。夢中になって読んでいたら浜松を過ぎていて、ちょっと疲れたので音楽を聴く。あと少しでライブを観ることの出来るユニゾンを聴く、何百回も聴いているはずなのに新鮮に響く、彼らの凄みを今さら思い知る。夢中になって音楽を聴いていたら名古屋駅に着いて、だから新幹線から降りた。約1ヶ月ぶりの名古屋は私を歓迎してくれるのだろうか。

 

 

ライブまでまだ時間があったので、名古屋駅三省堂書店に寄る。お笑い芸人のヒロシの本が山積みにされていて、それにサインが付与されていたので、一瞬の躊躇も虚しく購入。中身はエッセイなのであっという間に読んでしまうだろう、こういう出費を減らさないことにはお金は貯まらないぞ、と自戒の念を込めながらビルを降りる。電車を乗り継いで、久しぶりのセンチュリーホールへ。1年以上ぶりのセンチュリーホールにはたくさんのユニゾンファンが集まっていて、ツアーの最終日が終わってしまうのを寂しがっているように映った。

 

 

 

ライブが終わって、そのまま真っ直ぐ家に帰る。家に着いて、誰もいない家の中でぽつんと佇んでいることに飽きたので、お風呂に入って先程の素晴らしいライブの余韻に浸っていると家族が続々と帰ってきた。お風呂から出て、少ししたら夕飯の時間になった。刺身と蟹、一人暮らしの私の家では並ぶことがないだろう品が並んでいて、実家暮らしの裕福さを噛み締めながらご飯を食べる。床暖房がついており、ぽかぽかのリビングで食べる最高の夕飯、これ以上ないほどの幸せが広がっていた。

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ご飯を食べ終えて、そのまま自分の部屋にこもってしまうのは勿体ないので、リビングに残って家族との他愛のない話に花を咲かせる。人と話すということが最近は欠如していたので、欠如していた分を埋めるかのように怒涛のように話しているのはとても楽しく、同時にとても疲れる時間でもあった。24時を過ぎても明日のことを気にしないで話していられる幸せを噛み締めながら、もう私は眠いからと家族が離脱していったので、部屋に戻ってのんびりと時間を過ごす。新幹線でちょこっとだけ眠っていたので、そのせいか25時を過ぎても眠気が訪れることはなく、だから本を読んだらスマホをだらだら眺めていたりなどした。26時を過ぎても眠気が来なかったので、流石にこれはまずいと思って電気を消して目を瞑る。眠気がまだまだ私の元に来てくれないので、大学生のときによくしていた妄想をしていたら脳が退屈し始めたのか、その緩くなっていく思考の曲線に従いながら、眠りに落ちていく感覚を大切に味わっていた。