眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

地元を離れていく

19時29分、浜松を通り過ぎたあたりで眠気が訪れて、その誘いに乗ろうかどうか悩んでいる。3日間とちょっとの地元の滞在は呆気なく終わった。金曜日に目的は果たされたので、金曜日に帰ってしまってもよかったのだけれど、せっかく新幹線で来たのだから、と月曜日までだらだらと過ごしてしまった。この3日間とちょっとの9割以上はだらだらで構成されている。本を2冊持ってきたが、全然読まず、ほぼだらだらしていた。一人になる時間がなく、隣に家族がいるとちょっかいをかけたくなった。普段一人暮らしをしているから余計に人肌が恋しくなってしまったのかもしれない。実家暮らしをしていたら、ここまでしつこく家族と話をしなかったと思う。途中から心身ともに疲れてきたのに、私は家族との対話を止めることはしなかった。なぜこんなにもしつこく家族とコミュケーションを取ろうとしたのか。親とは普段から電話でたくさんの話をしているが、やはり対面で話すとなると行き交う情報量に圧倒される、そしてその情報量が癖になっていつまでも話していたいと思ってしまう。それはわたしが月曜日の夜に帰ってしまうからで、なぜ月曜日の夜に実家を離れなければならないか、それは私が経理の道を選んだからである。そもそも経理の道を選ばなかったから去年の名古屋営業の異動はなかったので、名古屋営業は特殊な1年間だった。今でも一緒に働いていた人は名古屋で営業をしている、退屈しないのだろうか、彼は人と飲むことが好きだったので、こんな時期でも人と飲んでいるかもしれない。何もしないで、ただだらだらと家族と話をしているだけで3日間とちょっとが過ぎてしまったが、当分はこんなに長い間、実家に滞在することはないだろう。来週は同期の結婚式でまた名古屋に帰ってくるが、日曜日の午前中には帰る予定だし、年末年始は帰らない。なので、今回の突発的な帰省が年末年始の帰省の代わりとなった。年末年始を一人で過ごすことは、おそらく今までの人生でなかったのではないだろうか......。一昨年、去年とカウントダウンライブへ行ったがお正月には実家に帰ってぐうたらしていた。今年は年末年始を東京の一人暮らしの家で過ごすことになるが、その寂しさに耐えられるだろうか。家にはたくさんの本があるし、Netflixで韓国ドラマや映画を観て寂しさを紛らわせばいい。そもそも寂しさを紛らわせる必要なんてなくて、寂しさをたくさん味わって人は成長していくのではないか。もっともっと寂しさを味わって、人の寂しさを分かるような人間になれればいい。