眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

地元でふやけている

昨日から地元に帰って、完全にふやけた生活を送っている。一人きりで寒い部屋にいたときは緊張感のある感情が持続していたが、いざ実家のぬくぬくとした環境でのんびりとしていると体も心もふやけてくる。考えるべきことがたくさんあったはずなのに、温室でだらけていると何もする気が起きず、この間見ないことに決めたTwitterをだらだらと眺めていた。完全に駄目な人間に落ちてしまっている。私には家族という環境が合っていないのだろうか。それとも久しぶりの家族との邂逅にはしゃいでしまって、テンションが異様に上がってしまっているのだろうか。家族が近くにいると、どうでもいいことをだらだらと話しているだけでハッピーな気持ちになる、そうだった人とだらだらと話しているのは楽しいのだったということを思い出している。気兼ねすることなく、普段思っていることを人に伝えることは震えるほどに面白くて、私はだから一人きりで仙人みたいな暮らしをするのはどうなのかと思っている。したくてしているわけではない、出来ることなら信頼出来るパートナーと一緒に生活を共にしたいと願う。ただ、このような状況で新しい人と出会うのは危険であるし、そもそも奥手な私は初対面の人に話しかける勇気もなかった。マッチングアプリを開くことすら億劫で、そんな私が新しい出会いを期待するのはお門違いなのだ。昔の人たちは社内でパートナーを見つけるなんてことをしていたけれど、今はそんなことをしてしまったら働きづらい、というか昔の人だって働きづらかったんじゃないか。何を言いたいのか全然まとまらないくらいに私のあたまはふやけてしまっていて、目の前で勝手に起きていることをただ眺めているか、雑記サイトを眺めてにやにやしているくらいしか興味が湧かない。本を2冊持ってきて、それらを読んでしまおうと思っていた計画は頓挫してしまいそうである。でも折角実家に戻ったんだから、数日くらいのふやけくらいは甘んじて受け入れてもいいんじゃないか。年末年始に地元に帰るのは断念したので、今のうちに実家の空気を存分に味わっておいて、年末年始に寂しくならないようにしておけばいいのか、と考えている。と書いている今の私の頭の中はこの後どのように過ごそうかということを考えていて、先程通り家族とだらだら話しながらテレビを見て時間を浪費するのか、それとも本を読んだり文章を書いたりして自分を研磨していくのか。どっちでもいいし、どちらを選んだところで私の人生は殆ど変わることはないのである。どんな選択をしたところで私の人生は劇的に変わることはない、だから目の前の現実に怯えることは無駄な行為で、興味を持ったことにずんずんと突き進んでいけるような気概が今の私には必要とされているものなのかもしれない。とか考えている、土曜日の19時過ぎ。まだ2日間も実家にいれるなんて、私はどれだけふやけてしまうのだろうか。楽しみで仕方がないのであった。