眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

2020年11月26日(木)

「銃声が響いた街頭 後悔は至って少々
ぬるま湯浸かって風邪っぴきですとか 笑えないので」

 

例えば形容できないほどの悲しみに襲われてしまったとき、僕は何をすればその悲しみから逃れられるのかな。見て見ないふりをしててもいずれ悲しみに飲み込まれてしまうから、正面から解決しようとしてみる。でも悲しみは私が思っている以上に大きくて、自分一人で太刀打ちできる相手ではなくて、でもそれが分かったところでどうしたらいい、どうしたらよかっただろうか。

 

 

私は人よりも多くの悲しみに足をすくわれてしまうような気がしていて、それは多分どうでもいいことを考えすぎてしまうからだろう。今回のこの悲しみ、いや今回のは悲しみというより絶望といったほうが適切だろうか、とにかく生きていく上で鬱陶しいことこの上ない怪物に引っ張られて、どうしたものかとおろおろしている。おろおろしているし、白旗をぶんぶんと降って降参している。私一人で倒せるような相手ではなかった、私にはもうどうすることも出来ないよ、と絶望に訴えているのに、絶望は私の言うことを一切聞き入れてくれないようで、攻撃の手を緩めてはくれない。前もこんなことあったよな、同じことで悩んで絶望に打ちひしがれていたな。今回の絶望を引き起こしている根本的な原因を元から絶ってしまうのが一番いいんだろうけれど、そんな勇気と根性と体力はどうやら備わっていないようで、これからの人生でもきっと同じ絶望に立ち向かい、打ちひしがれることだろう。あと何回、この苦しみを経験しないといけないんだろう。

 

 

今回の絶望が発生してしまった要因は、昨日観たライブがあまりにも心を突き動かしてしまったせいで心の外側を覆っていた膜が綺麗に剥がれ落ちてしまい、しょうもない日常を思い出してしまったからだろうと推測している。くだらない日常だってことは普段から分かっていることなんだけれど、私の心を守ってくれている膜が剥がれ落ちてしまったせいで、より深刻に日常が心に突き刺さってしまって、立つことすらもままならないくらいに打ちひしがれている、現在進行形で。仮眠をちょっぴり取ったおかげで膜が少しだけ復活して、少しは心の安寧が戻っては来ているんだけれど、明日からまた日常のくだらなさに直面するのか、と思うと気が滅入ってくる。正直に言おう、私は自分が今している仕事に誇りを持てない。書類整理ばかりして、右から左へ移動させる作業ばかりして、そんなことをするために私は生まれてきたわけじゃないんだけどな、と大袈裟に悲しんでみせる。配属されてからもうそろそろ1年が経とうとしているのに、全然仕事を任されていないのは私に仕事を任せるのは不安だから、という理由なのだろうか。職場の先輩は仕事中に私語をするような人間ではない、かちかちのまじめ人間なので、フランクに接することが出来ないし、良好な人間関係が築けていないから先輩も私に仕事を任せてくれないのだろうか。この辺のことは全て私の想像なので、あまり考えすぎてしまって自分を痛めつけても仕方ないのであまり考えないようにしているけれど、就業時間中に暇な時間がたっぷりあるので、ついつい良くない方向へと思考が突き進んでしまい、自分を傷つけてしまうことが何度でもある。そこまで考えて苦しむくらいだったら先輩に相談すればいいのに。「どうして仕事を任せてくれないんですか。私の事が嫌いだから、そうやって邪険に扱っているのですか」と正面から伝えればいいんだろうけれど、そんなことをしてもどうしようもないだろうな、先輩に対する信頼というものがこれっぽっちもないのでそんなことをする気が起こらない。先輩を信頼していないということは先輩にも伝わっているだろう、こういう負の感情は相手に伝わるんだよな、だったら少しでも先輩を尊敬すればいいのに......先輩のどこを尊敬すればいいのか、先輩から教えてくれませんか。なんて舐めたことを未だに考えているから、先輩と打ち解けられないのだろう。そもそも私が所属している部署では例えそれが相手とのコミュニケーションを円滑にする会話だとしても忌避されており、上司の基準よりも多い時間の会話をしてしまうと、「駄目な奴」というレッテルを貼られてしまう、非常に窮屈な職場なのである(ということは実際に中に入ってみないと分からないものですな)。うだうだこんなことを考えていても仕方ない、じゃあどうすればいいのか。「日常って、働くってことって綺麗ごとではないんだから。先輩にパワハラされているとかじゃないんだから、そんな深刻に捉えるものではないんじゃない。『こんな楽な仕事でお金が貰えてラッキー』」と思えるくらいの図太い神経が私には足りなかった。豆腐のような、突けばすぐに中身が零れてしまうような弱いメンタルの持ち主に、くだらない日常は生きるに値しない、と判定してしまうことが何度もあって、挫けてしまいそう、現在進行形で。

 

 

今日は在宅勤務で、他の人間の会話が聞こえてこない静かな環境のもとで仕事をしていたので、上記のようなことを十分に考えてしまって、定時になる頃にはくたくたになってしまい、日常から逃れるようにすぐに仮眠を取った。起きて、お腹が空いていたのでだいぶ前から冷凍庫に入れておいた餃子を解凍して食べて、そのままの気分で読書をしたり音楽を聴いたりする気分にはなれなかったので、いっそのこと大きな衝撃をぶつけたやろう。ということで、クリストファー・ノーラン監督作品「メメント」(2000)を観た。最初に結末が提示されて、なぜそのような結末に至ったのかを示すために過去の出来事を流していく(過去であるモノクロと現在である色のついた映像の対比が素晴らしい)という手法を取っている映画で、ノーランは時間を逆手に取った手法で映画を撮るのが好きなんだろうな、ということが伝わってきた。「TENET」を観たおかげでそこまで理解不能にならずに鑑賞を進めていけたが、いくつかの謎は謎のままで分からなかった、それも含めて非常に良く出来た映画であった。記憶が10分しか持たない主人公が、本当にそんな記憶障害を持っているのかを試すために唾入りのビールを飲ませる場面は眉を顰めたが、そこが異様に脳裏に焼き付いてしまっていて、この場面は当分は忘れることはないだろう。とても優れた映画で、分からなかった謎を解くためにももう一度鑑賞したいと思える、稀有な映画であった。

 

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メメント」(2000)(☆☆☆☆)

 

映画を観終えて、将来に対する漠然とした不安を抱えながら、森博嗣「勉強の価値」を読んでいた。今回の新書も森博嗣らしい、「勉強の価値とは」ということを一般的な主張とは異なる観点から主張していく、彼らしい作品であったが、前半部分の「勉強とは」というところのまどろっこしい記述は読んでいて眠くなってしまった。多分、この本から得られることはそこまでないだろうし(この本で語られることは他の本で読んだことがあるか、既に自分で考えていること)、だからこそ来月に発売されるクリームシリーズが俄然楽しみになってきた。毎日のエッセイを更新し無くなってから、彼の文章に触れる機会はめっきり少なくなってしまったので、このエッセイで存分に彼の思考をたどっていきたいし、彼がこのコロナ禍に対してどのような考えを持っているのかが非常に気になる。気付けば25時になろうとしていたので、ロフトに上がって布団にくるまった。先ほど睡眠を取ったのでそこまで眠気はなかったが、目を瞑ってテキトーなことを考えていたら眠ってしまっていた。