眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

2020年11月22日(日)

「君の瞳に恋なんてしてはないけどわかる
大事なもの失った時 壊れちゃってしまってしまった気持ちは
虹色に光る幸せ そんなものがなくても
小さじ一杯のカラクリが生み出せるものもあるよ」

 

我慢の三連休の二日目。朝7時に起きる。起きてもまだまだ眠いので、二度寝へ。また起き上がる。朝の9時。起きるか。起きて、朝ご飯を食べる。さてどうしたものかね......。最近は簿記の勉強に夢中になってしまっていたばかりに、休日の時間の過ごし方というものがよく分からなくなってしまっていた。とりあえず録画されている番組を見て、それが終わると特にすることがなくなってしまった。ああ、こうして私の人生は何もしないままに終わっていくのかしら、と思うと悲しみが込み上げてきて「うっうっ」と嗚咽が止まらなくなってしまった。外は晴れている、外に出て散歩でもすれば良いと思うけれど、昨日と同じ道を歩くのは退屈、でもこのまま家にいるのも退屈なんじゃなかろうか。そんなことをぐちぐち考えていても一向に答えは出ないで時間だけが過ぎていく。悩んでいるこの時間だけで気になっていた映画の1本でも観れたんじゃないだろうか、そう思うだけでまた重みのある苦しみがどさっと私にのしかかってくる。休日を上手く過ごすことにも技術が必要で、今までの私はどのようにして過ごしていたのか、すぐに思い出せなくて冷や汗をかいた。とりあえず目の前で待ち構えている娯楽を楽しんでやろう、と床の上で無造作に転がっている本を掴んで、強引にページを捲った。まだ完全には頭が起きていないので、意味を理解できないままに文字を体に押し込んでいくこと。この文章は一体何を伝えようとしているのか、普段は読まない類の文章なのでそれらが意味することがよく分からなくて、途中で退屈になって放り出した。さて、どうしたものか......。

 

 

三日間の休みは今の私には無用なもので、適度な非プライベートがあったほうが健康に生きていくことが出来るのかも。そもそも、一人で休日を過ごそうとするのが間違っていて、恋人でも良い、趣味を同じにする人でも良い、とにかく一人ではなくて他人と一緒に過ごすことで時間が滑らかに過ぎていく、そしてそれは充実感を持って流れていくのではないかと仮定する。ただ、そんなことは分かっている、難しいのは私と時間を過ごしてくれる他人を探すことで、それをすることが億劫で、今私は一人なんじゃなかったか。それを思い出してしまって、またもや「うっうっ」と嗚咽が止まらなくなる。上を仰ぐとグルグル回り続ける光があって、それを見つめているとここではないどこかに連れて行かれそうな気分になって、それでも別にいいけどね......、と弱気な自分になっていた。そんなことばかり考えているから友達が増えないんだよ、と内なる自分ががんがんと外なる自分を叩きつけてくる。

 

 

昼になってしまった。特に何もしていないのに昼になってしまったときの喪失感を抱えて、小腹が空いたのでお昼ご飯に昨日と同じ、台湾ラーメンを作る。折角電子レンジが届いたので、それを活用したものを作れば良いのにと思うけれど、いろいろと暗くなるようなことを考えてしまって、私は今あまり物事を考えられるような状態ではなかった。今日はきちっと時間を測って茹でたので、麺はしっかりと硬さを湛えていた。もう少し硬くても良いかも、と思いながらあっという間に平らげる。これだけだと物足りないので、お惣菜を食べる。初めの頃は「美味しい美味しい」と笑みを溢しながら食べていたけれど、今はそんな感情は起きなくて、ただ「栄養摂取してるな」としか思えない。本当に栄養を摂取しているかどうかも分からなくなってくる、冷たい状態のまま食べているけれど、レンジで温めたほうが栄養素が増すのかもしれない、と思うと安直に身動きが取れなくなってしまう。自分の行動のひとつひとつにケチをつけていたら、前へ進むことが出来なくなってしまうな。今までのように、安直に行動を取った方がいろいろと良い方向へ物事が進むような気がしていた。

 

 

昼ごはんを食べ終わって、先程の本を読むもすぐに退屈になって放り出す。ちょっとだけ眠い、寝ては時間の無駄、ここで散歩を挟んだ方がいいのでは、でも今こうやって椅子の上でぐでっとしているのがたまらなく心地よくて。でも何かしらをしていたくて、来月にライブを控えているw.o.d.を聴いていた。ようやく彼らの鳴らしている音楽の意味がすとんと腑に落ちたような気がして、それからは彼らの音楽が私の中で心地よく鳴り響いていた。次第に薄れていく意識、このまま私は果ててしまってもいいかもしれない.....。と思っていて、一瞬で時間移動していた。15時が終わろうとしていた。いや、こんなんじゃ一日が無為に終わってしまうぞ、おい、このままでいいのか、とせきたてる自分の言うことを素直に聴いて、まだまだ眠たい体を無理矢理起こして外に出る。

 

 

我慢の三連休だったんじゃないか、と自分に言い聞かせながらも、「そこまで遠出をするわけではないから大丈夫でしょ」という安直な考え、そのようなことを考えている人がたくさんいるから日本ではコロナが収束することはなく、どんどん広がっているのかもしれませんね。そんな呑気なことを考えながら、電車に乗って新宿へ向かう。電車の中はちょこっとだけ座席が空いているという、普段よりは少しだけ空いている感じかなといった状態。新宿駅へ降り立つとそこそこの人間が右往左往していたので、呼吸を止めて急いで西口の本屋へ向かう。冬木糸一さんがプッシュしていた本が欲しい、「2000年代海外SF傑作選」を早く読みたい気分で文庫本コーナーへ向かう。たくさん並べられていて、この本屋でも気合を入れて薦めていることが分かって嬉しくなる。すぐにそれを手にして、他に目ぼしい本がないかうろうろする。人はまあ、普段通りの入り具合。最近本屋に並んでいるのを見て、気にはなっていたけれど買うまでには至らなかった本があって、中身をぺらぺらと捲ってみると書いている人がロックバンドGEZANの人で、中身も面白そうだしサイン本だったので購入を決意。他には、竹書房から出たばかりの生島治郎さんの短編集が出ていて、気になって、中身をぺらぺら捲ってみて、面白そうだな、解説を星新一が書いているということはだいぶ昔の人なのだな、気になる気になる、ということでこれも購入。また安直に本を購入してしまったが、本屋に来なかったら出会わなかった本と出会えたので、少しだけ嬉しかった。次に漫画コーナーへいって、あらゐけいいちの「CITY」の最新刊を購入。

 

<購入した本>

マヒトゥ・ザ・ピーポー「ひかりぼっち」(サイン本)
「2000年代海外SF傑作選」
生島治郎「頭の中の昏い唄」
あらゐけいいち「CITY(12)」

 

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ちょこっと疲れたので、近場の喫茶店で休憩。近くで女3人組がマスクをつけず、楽しそうに悪口を話していた。「友達からの紹介とか、合コンだと同じような人種しか会えないからつまらない。『相席屋』みたいに、ゲテモノもいるけれど、普段出会わないような人と出会える場所に安直に行ってみるのもいいかもしれない」と嬉々として話していて、なんだか女性に対して抱いていた幻想は幻想でしかなく、実際に存在する女性は私が思っているほどのぽかぽかしている感じではなく、厳しさを湛えた冬国の風のような感じなのだろうか、とぶるぶる震えていた。急いでオレンジジュースを飲み干して、次の目的地である南口のニトリへ。今日、部屋で過ごしていて「ちょっと寒い。羽織るものが欲しい」となって、ニトリで手頃な毛布が売っているということでニトリへ。大盛況の中をくぐり、目的物に到達したのですぐにそれをレジへと持っていく。ちょっと人に酔ってしまったみたいだ。

 

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家に帰りついたのが18時過ぎ。すっかり暗くなっていて、なんだか心細い気持ちになっていた。隣からは一切物音が聞こえなくて、半同棲している男の自転車がなくなっていたので、彼は今自分の家に居るのか他のめぼしいところに行っているのだろうもう二度とここに戻ってこなければいいのに、と黒い感情がとぐろを巻いていた。19時にご飯が炊けたので、安直にグリーンカレーを食べてみる。グリーンカレーはだいぶ前に購入したものだったが、電子レンジでチンするとうまい具合にあったかくなるということで、電子レンジが届けられるのをずっと待っていたので。袋を開けると鶏肉やタケノコが出て来て、最近のルーはこんなにも具沢山なのね、と嬉しくなる。食べてみて、まずまずかなという印象。これからいろんなカレーのルーを試してみるのもいいかもしれない、それの感想をここに書いてみたら面白いことになるのではないかと思ったが、折角電子レンジが届けられたので他の料理も楽しみたい気分になっていた。今の私は、外食をするという選択肢が抜け落ちてしまった、倹約家のような存在になってしまったようだ。

 

 

静かな環境なので、音楽を流さないでテッド・チャン「息吹」をずんずんと読み進めていく。

 

bigpopmonster.hatenadiary.jp

 

結構な時間を読書に費やせたこと、集中力を途切らせることなく読書が出来たことが一種の自信に変わっていた。これを機に、たくさんの素晴らしい本を読んでいけるようになっていけばいい。でも簿記の勉強もしないといけないので、そこは時間との折り合いで、Twitterを眺めるような空虚な時間はばっさばっさと切り捨てていかねばならない、しょうもないネット記事を眺めていられるような時間は私の人生には存在していない、というくらいの気概で生きていきたいものですね。

 

 

2時間以上の時間を「息吹」の読書に費やしたが、物語の精緻があまりにも難解過ぎて、「これ、読んでて面白いか。素晴らしい作品であることは分かるのだけれど、読んでて面白いのかな」と途中で苦しくなって、読書をする意味が分からなくなった。常に楽しいのが読書だとしたら、そこには成長というものがないような気がしている。「難解だけれど、これを何度も読んで理解できるようになったら、自分の脳内領域が拡張するのではないか」と思えるような読書は最初の方はしんどいだろうけれど、本を読み進めていくうちに自分の頭がその本の文章に順応していく、「あれ、今まで考えたことがないようなことを自然と考えられるようになっている。普段世の中を見ていてピントが合っていなかった場所にもピントが合うようになって、なんだか面白いことになってきたな」と思えるようになるのが私の求めている読書である。でもそればかりだと続かないので、とことん大好きなジャンルの本を読んでみるのも大切だろう、要はバランス感覚をしっかりと養っておけば辛い思いをしないだろうな、それを身に着けるのはなかなか難しいんだろうけれど、ということを考えていた。他人が薦める「これは面白いぞ」という本はその人にとって面白いわけで私にとっては面白い保証はない。自分が面白いと思えるような本は自分自身で探していくしかない。たくさんの本が広がっているリアル本屋さんで、茫漠の本で埋もれているネット書店で、自分を楽しませてくれるような本、自分を成長させてくれるような本を見つけることも楽しいんだよな。それをこれからも追及していければいいな。

 

 

すっかりと読書に疲れ果ててしまって、他に何かを楽しめるような余力も残っていなくて、ただ茫然と虚空を眺めていた。明日もまだ休みがあるのは余計だな、明日出社してくだらない仕事を済ませるので、どこか好きな場所で一日休ませてくれればいいのに、自分の気分で出社日を決められるような、そんな自由な職場であればいいのにな、と思っている。このままだと当分は書類整理当番は私になるだろう、新人を取ったところで違う人間にいいように扱われるだけで、私のもとに来てぐるぐると働いてくれることはないだろう。そもそも後輩が来たところで任せるような仕事を私は持ち合わせていない、コピーロボットが未だにたくさんの仕事を持ち合わせているのはどういった了見なのだろうか。彼の仕事の負担を軽減させるために私を営業から経理へ異動させたではなかったのか、これでは私が職場の虚空にはまってしまっただけではないか。くだらないことをしているだけでそれに見合わないほどのお金を貰えるのは私にとっては嬉しい限りなのだけれど、ずっとこの状態が続くと転職するときに、「いや、その、職場では主に書類整理をしていました」なんてことしか言うことがなくて転職なんて出来なくなるだろうし。これはもしかして、私が転職出来ないようにするための上層部の策略で、転職が難しくなった頃合いに肩をとんとんとんと叩かれるのではないか、その手を払いのけても執拗にとんとんとんとんと叩いてくるのではないか。

 

 

そんなくだらないことを妄想してしまうほどによく分からないほど私は疲れてしまっていて、23時、徐にタブレットを起動して、商業簿記の勉強を始めてみる。趣味に溺れている時間が長かったせいか、勉強をすることがとても健全なことに思えて、鬱陶しいとばかり思っていた仕訳やそれの理論が面白くなって来て、このモチベーションで勉強を進めていけば次の試験では無事に合格できるだろう、でも簿記二級に合格してしまうと次はまた別の試験勉強を始めなければいけない。今の職場では常に勉強をしていることが正義になっていて、後輩や同期は上に追い立てられるように試験勉強をしているけれど、それをしていることで今の場所に居続けられているのだろうけれど、私もそれらの勉強をしないといけないのだろうか。貴重な時間を割いて勉強するのであれば、自分が興味を持ったことをとことん勉強してみたい、それはプログラミングであったり生態学であったり、はたまた古代西洋の食文化であったりする。それらは会社で必要とされている資格の勉強を合間にしてくれればいい、とにかく会社が取れと言っている資格を即刻取ってくれ、というのが会社の方針らしいので、それならば今の仕事中の無駄な時間、することがなくてどうしようもなく悲しい気持ちになってしまうときに資格の勉強をさせてくれればいいのに。それを許してくれないのは分かっている、せめてこんな状況になっていて、冬が深まっていくにつれてより深刻化していくのは分かっているので、出来れば在宅勤務を導入してくれればいいのに、そうしてくれれば悲しい気持ちがちょっとは減って、人生の豊かさがちょっとは芳醇化するのにな、と思っていた。

 

 

そんなくだらないことを考えていた、だから勉強をそこまで進まなかった。途中から異様な眠たさに追い立てられて、ちょっとだけ目蓋を閉じた。その微睡みのなかの幸せな時間の中でふっと私がいなくなってしまう瞬間があって、そういう瞬間を世間では「しあわせ」とでも呼んでいるのでしょう。こんな場所で寝ていたら風邪を引いてしまう、こんなときにコホンコホンとやっていたら周りの視線が気になって気になって仕方がないだろうから、ロフトに上がって布団に潜りこんだら次第に意識が薄れていく、この瞬間もなかなかに心地よいのだということを思い知りました。