眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

文章を書き過ぎると性格が悪くなる

毎日、3,000字ほどの文章を書いている。口から声を発して誰かに自分の思いを伝えることを怠っているから、心の中で解き放たれるのを待っている思いを全て文章に変換する。そうしないとどうしようもなく窮屈な気分になるから、自分を救えるのはいつだって自分だけ。自分の不調に気づいてあげられるのは、この世界で私だけしかいない。そんな極端な考えを持っているからこの世界はどうも生きづらい、息をしづらいから派手にくしゃみをする。この時代、人前でくしゃみをすると罪人であるかのように衆人から視線が注がれる。そんなときでも、盛大にくしゃみをして全ての悩みが溶ければいいな。文章を書いているときはだいぶ強気な気分、世の中の違和を糾弾することに必死になる。人は誰だった脆いいきものなのに、それを忘れてただただ人間の醜いところを曝け出して、ほんの少し溜飲を下げているだけ。こんなことをしていると次第に性格が悪くなっていく。もともと性格は良いほうではなかったけれど、高飛車な文章を書き続けることで悪い性格になっていくスピードに拍車がかかっている。人といろんな話がしたい。そうすれば今みたいな量の文章を書かなくても心の平静を保てるのに。寂しさ苦しさに耐えられないから救われたくて文章を書いているのに、書けば書くほどどんどん沼にはまっていく罠のような仕組みの世界。助かるためには下手に取り繕うことをしないで人と話すこと。周りには気軽に話せるような相手がいない、今から話し相手を探すのは至難の業。みんな、一体どこで他人と知り合って友達になっていくのだろうか。私は歳を取り過ぎてしまった、初対面の相手に話しかける話題が思い浮かばなくて寝れない夜に悩まされている。そんな日々がしんどくて、心に降り積もった思いを文章に叩き続ける、そんなことをしてもちっとも救われないんだけれど。でも、文章を書き続けて唯一良かったと思えるのは、過去の自分が悩んでいたことを今の自分が振り返ってみると、大半がしょうもないことで悩んでいたなと気付けること。悩んでいるときは視野が狭くなって、体の俊敏性も鈍くなって、物事の本質を捉えづらくなっているけれど、しっかりと距離を取って冷静な頭で見つめてみると大半が些事、どうしてそんなことで悩んでいたのかが理解できないほど、それでもその時の自分は相当に悩んでいたのだ。ここから学べることは、私という人間が生きていて出会う困難はそこまで大したものではないから、必要以上に困難と接点を取ろうとするのを防ぐこと。考えすぎても何の得にもならないし、そんなことをして時間を浪費する暇があるなら、ちょっとの勇気でも振り絞って話したいと思える相手を探す苦労を惜しむな、見つかったら勇気を出して話しかけてみろ。こんなちっぽけなことで簡単に人生は好転する。人生なんてそんな大仰に構えて取っ組み合いをするものでもない。芥川龍之介の言葉にあるように「人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのは馬鹿馬鹿しい。重大に扱わなければ危険である」なので、人生とはほどほどの距離感を取って生きればいい。そのためには性格の悪い文章を書くのは控える必要があるのだけれど、文章を書いているとついつい気持ちが大きくなってしまうので、その大きくなった気持ちで人に話しかけてみたらいいんじゃないか。悩みは尽きない、生きている限り。