眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

落ち着かない休日

久しぶりに趣味を謳歌できる連休が来て、戸惑っている自分がいる。たくさんの自由な時間がある、それを好きなように使っていいのに、いざ目の前にたくさんの時間があると、「何をすればいいのか分からない」という現実にぶつかった。簿記の勉強で自由な時間が持てなかったときは、「試験が終わったら読書をしたい、ドラマを観たい、音楽を聴きたい、漫画を読みたい。たくさんしたいことがあるな」と思っていたけれど、いざ試験が終わって自由な時間がたくさんあると、「えっと、どうしたらいいんでしたっけ?」と自由時間を過ごすのが下手くそな人間になってしまっていた。好きにすればいい、と言われるのがなかなかに苦手で、今までの人生を振り返って、「今までの自由時間、一体何をしていたんだっけ......?」と疑問符がたくさん思い浮かぶほど、今までの私も自由時間を上手く過ごせていなかった気がしてきた。連休の一日目は調子が良かった。隣駅まで散歩に出て体を適度に動かしてから、読書、テレビ、音楽と楽しんで、「これは素敵な三連休になる予感がする」と嬉しくなって眠りに就いた。連休の二日目、今まで読んだことがないような難解な海外SFをしかめっ面で読んでいて、「これ、面白いのかな?」と思いながらたどたどしく読み始めた時から自由な時間がしんどくなってきて、仕事の時の「会社から任されていることを無機質に進めていく時の、あの何も考えないでもいい、時間が無為に流れていくのがそこまで苦痛ではない」時間が懐かしくなっていた。私は自由時間を上手く過ごせるほどの力量を持っていなかったことがようやく分かったし、自由時間が長すぎて一人で過ごす時間が長いと、他人が恋しくなる、他人と他愛のないことを話している時間も大切なんだよな、ああ恋人が欲しい、自分の事を包み隠さず出してもそれを受け止めてくれるような女性と恋仲になれれば、と勝手気儘なことを考えていた。自由時間を上手く過ごせないなら、恋仲になりたい女性を探す努力、見つけた時に自分を気に入ってもらえる努力をしてみてもいいのかもしれない。あと少しで30歳になってしまうのだから、本当は25歳くらいで結婚したかったのにな、現実は想像している未来像とは上手く合致しないものですな、ということをしみじみ思っていた。

 

 

脂っこいものを食べていないのに喉が渇いてしまったという理由で安直に特茶を飲んでしまえるほど、私は金銭感覚が狂ってしまっている。本をどばどばと購入して、その実それらは読み切れなくてどんどん本棚に溜まっていく始末。削ぎ落とそうと思えばたくさんの無駄を削ぎ落とせるのに、毎日家計簿をつけているのにそれをあとで見返さないのはなんの意味もなさない。私は一人身だからこんな無秩序にお金を使っているけれど、もし女性と付き合うようになったらその女性にお金を使うようになる、結婚したら家庭に使うお金が出てきて、今みたいに自由奔放、後先を殆ど考えないでお金を使うことが出来なくなる。だからそれらが来てしまう前に好きなだけお金を使ってしまうのは一つの考えなのかもしれないけれど、今のうちに節約できるような精神を養っておくのも大切なんじゃないかというのも一つの考えで、だから結局どうすればいいのでしょうか、誰か答えを教えて。と他人に責任を押し付けるのは昔からの悪い癖で、そんなものは勝手に自分で決めつけて、それの通りに動いていけばいいだけ。進んでいる途中で上手くいかなかったらどこが間違っているのかを観察して、適宜修正していけばいいし、うまく進んでいるのならばその調子で進んでいけばいいだけ。何を書いているのかよく分からなくなってしまったのでこの一文で今回の記事は締めますが、落ち着かない休日には勉強をして、普段の欠如を埋めてしまえばよろしいんじゃないでしょうか、ということを書きたかったような気がしている、祝日の午後一時過ぎ。