眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

なかなか寒くならない

晴れているせいかもしれないけれど、11月後半の天気じゃないくらいにぽかぽかしている。テレビやネットを見ないで、人気のないところを汗を拭き拭きしながらずんずん歩いて、適度に水分摂取して、野鳥の歌声が聞こえてきたりして、川のせせらぎが非常に心地よくて、空の青があまりにも嘘っぽいくらいに青くて、うっかりこの世界が「コロナ」という化物に脅かされていることを忘れてしまいそうになる、平和な日常。暑くなると予想して薄着にしてきたけれど、歩いていると暑くなってきて、半袖一枚になってしまった。人の声は聞こえなくて、ただ自然の音だけが響いている、そんな場所にずっと居たいと思うほど、なんだか私は疲れていた。別に過度な労働に浸されているとか、難解な人間関係に困惑しているとかではなくて、ただただ日常を生きることに疲れていた。なんでだろう、私はどうしてこんなにも体力がなくて、人のことを思いやれるほどの心の広さを持ち合わせていないんだろう。甘えて甘えて生きてきた子供の時から今までずっと、困っている人を見かけると、「誰かが救ってくれるから、私は何もしなくてもいい」と決めつけていた。目の前で起こっていることに対してのめり込むことはなく、ただ「別の世界の出来事」として受け止めて、自分の事に夢中になって過ぎ去ってしまっていた。その積み重ねで今の私は形成されたし、今更になって違う性質を持った人間に変化しようだなんて都合のいい話だよね、忘れてくれ。ぽかぽかしている青空の下、誰もいない川のほとりでぼーっとしていると、このままここのオブジェになれればいいのに、そうしたら余計なことは何も考えることはしなくていいのに、知らず知らずのうちに誰かを傷つけることもしないだろうし、疲れに任せてお酒を飲むこともないだろう。自由、という言葉を体現する場所があるとしたら、きっとここのような場所なんだろう。

 

 

私は私の事ばかり考えすぎていて、周りの事を考える余裕はなかった。だから今更になって生き辛いことを他人に打ち明けるのはひどく恥ずかしいこと、それはなんとも馬鹿げた道化の真似だとしか思えなくて、いつまでもここにいるのも恥ずかしくなって、家に帰った。一人きりの家で、テレビをつけないで、たまに隣の部屋から聞こえてくる楽しそうな男女の声、それだけが聞こえてくるだけ。難解な本を先ほどから読んでいるのだけれど内容がちっとも頭に入ってこない、ただ文字を飲み込んでいくだけ。いずれ消化不良の文章たちが耐えきれなくなって体内からどばっと放出される、そのときに私がしてきたことは無駄なことばかりだったんだな、と気づかされることだろう。そのときにだけしか気づけない私の鈍感さを案外好きでいられるほど、私は世間を甘く見ていた。好きな人がいたら、尊敬できる人がいたらこんな馬鹿馬鹿しいことを考えることはしないで、純粋な気持ちで生きることが出来ただろうか。「大好き」という気持ちが身体中に滲みこんでいるときの、たまらなく幸せな気持ちはもう味わうことは出来ないんだろうか。

 

 

小学生の時、私は男の子より女の子と遊ぶことが多かった。それは気性の荒い私を受け止めてくれるのが優しい女の子だけだったというだけの話なんだけれど。大抵はおままごとみたいなことに終始していて、私が夫、女の子が妻を演じるというワンパターンで、でもそれをしていると普段は演じることのない私がひょっと姿を現して、世界が広がった気分でいた。その頃、特に気になっている女の子がいて、その子とはいつも秘密基地みたいなところで内緒話をしていた。私と女の子以外には誰もいないのに、耳元で大切なことを囁き合って、なんだか恋人みたいだな、とどきどきしていた覚えがある。特に約束をするでもなく、放課後にそこに集合して、いつも大切なことを教え合っていた、あの時は本当に余計な心配をすることもなく、ただただ目の前の女の子と過ごす時間がたまらなく愛おしかった。そんな幸せな時間はいつまでも続くことはなく、何も言わないでその子は引っ越していった。親の転勤が理由で引っ越したと担任の先生が言っていた、なんであの子は私に引っ越すことを教えてくれないで行ってしまったのだろうか。その時から安易に人を信用することが怖くなって、ついつい人との間に壁を作るようになった。それからは時間が砂の時計のようにするすると過ぎ去っていき、中学、高校、大学となって、社会人、東京で暮らしている。ここに来てから誰かを本気で好きになったことがなくて、このままでいいのだろうかと不安でいっぱいになるときもあるけれど、それも日常の疲労が蓄積していくとすっかり忘れてしまって、恋愛は引き出しの奥の方に追いやられてしまう。みんなすぐに結婚してしまったけれど、本当に好きな人、深くまで分かりあえる人と結婚したのかな。ただ世間体を気にしてだとか、周りが結婚しているから自分も手短な相手と、という風に思っていないかな。小学生の頃の、何も分かっていないようで、本当は心の深部まで分かりきっているあの時に結婚出来ていたら、今頃は幸せな表情を顔に貼り付けて暮らすことが出来ただろうか。あのときの、ただただ人を好きになれるような気持ちはなくなってしまって、一人の部屋で寂しくカップラーメンを啜る、それが私の29歳の現実になってしまった。