眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

冬はもうすぐ来る

あったかい日が何日も続いて、これが日常になりつつあるけれど、不意にぐっと寒くなるだろう。私は暑さには強いが寒さには耐えられるような体ではないので、寒くなったらどうしていいか分からなくなる。人々は知恵を絞って、あったかい服を着込んだり、マフラーを首に巻いてみたり、ホッカイロを体中に貼り付けてみるかもしれない。私はそういったことがあまり好きではないから、素のままの自分で冬と向き合う。コートはぎりぎりの寒さになるまで着ないって毎年決めていて、それがかっこいいと考えている。はたから見たらそれはしょうもないことを必死で耐えている道化師みたいだろう、こちらが本気でも取り合ってくれる人は少ない。だから、こんな私を受け止めてくれる人がいたら、その人を大切にしたいと思っている。

 

 

冬が来たら、あまり外に出ることもなくなるだろう。「我慢の三連休です」とテレビから聞こえてきたが、我慢なんてする必要があるのか。想像力が欠如しているから、我慢と努力をはき違えているだけなんじゃないの。こんな時に会食、接待ってはっきり言ってばっかじゃないのー、と言ってみたい。マスクを適切な場所にはめていない人、例えば自分ではかっこいいと思って額の位置にマスクの主力部分を持ってくるとか、それが来世紀のファッションになるかもね、そのときまで人間が生きていたらいいね。食べる時にはマスクを外しているからしゃべるな。そんなことすらも出来なくなるのがお酒の力で、だから私はあまり近づかないようにしている。それでもお酒を出さないと儲からない、食べていかれぬ人々もいるわけで、でもそれはその人が選んだ仕事、そのようなリスクがあって選んだのではないか、それを未だに国が守ろうとしているのはどうしたことか。店で容易に食べられないのであれば、今流行りの「宅配」で食事を運んでもらえばいい。未だに会食をしようとしている人々は古い慣習に縛られていて、「自分たちの考えることは正しい」という呪縛に囚われている。そのような考えを持っている人は既に自分の考えを変えられない、かちこちの頭を持った年代の方々なので、緩く注意したところで守ることは難しいだろう。こんな話をしていても何も楽しくない。皆、生きているからには楽しく過ごしたいと思っているだろう。楽しくやっていきたいなら、想像力を働かせて、「今、してはいけないこと」が一体なんなのかをしっかりと考えて行動すれば、少しは状況が変わるのかもしれない。変わらないかもしれない。せっかくチャンスが目の前に転がっているのならば、みすみす見過ごすことは出来ないだろう。何を言っても変わらない人間には何を言っても無駄だった。私は外が怖いから、家で一人でのんびりと過ごしている。恋愛はいつになったら出来るようになるのでしょうか。全ては自分で勝手に決めていいことなんだろう。

 

 

寒くなったら熱々のお風呂にじっくりと浸かりたい。温泉に行こうと計画を立てていたけれど、面倒になって連絡を取らなくなったらこんな騒ぎになっていて(予想通り)、もう今年は、それこそ来年も行けないかもしれない。熱々のお風呂に入って、身も心もぽかぽかになって、そうしたら目の前に広がっている世界が少しはきらきらしたものに見えるのかもしれない。たくさんの時間を喪失してもなお、人は歴史から学ぼうとしないで、ちっぽけな考えの相違でいざこざを起こす。そんなことしていても時間の無駄にしかならないよと、もう誰も注意してはくれないんだね。晴れがずっと続いていて馬鹿になりそうだから、そろそろ雨を降らしておくれ。でもそんなに続けて降らさなくてもいいから。ちょこっとだけ、チャーハンに振りかける胡椒のような、そんな感じで。