眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

2020年10月28日(水)

「誰にもわかんないことを解き明かしても
誰にもわかんないまんまでいいのかも
一人ぼっちかも けど不思議と誰かが
同じ光を見るなんてことはある わかってよね」

 

この間の土曜日からずっと晴れが続いている。いや、正確には雨が降っていないという表現の方が正しいだろう。そういうわけで(どういうわけだ?)この神懸かった日々のうちに大切なことをしておきたい、大事な決断を下してみたい。そう思っても1日は物凄いスピードで駆け抜けていく。常に纏わりついて離れない不安。先々週くらいに親からお話を聞いてから、ずっと不安が続いている。私が不安になったところで状況が好転するわけではないが、そもそも今の状況が本人にとって悪いとは限らないが、私の心が弱いばっかりに必要以上に弱っている。いつまでこの不安と戦わなければいけないのだろう、という発想が間違っていて、生きている限り何かしらに不安を抱くのは自然なこと、「自分は今不安なんだ」と正面から受け止めることで不安に対して過剰に反応することはなくなるんじゃないかな、ということを最近はごちゃごちゃ考えているのだけれど、そうは言ってもまだ現実を受け止めきれていないようだ。しんどい時に「しんどい」と言って頼れるような存在が傍にいてくれることで、どれだけ救われるんでしょうかね。

 


先週から頭を悩ませていたことにようやくカタがついた。あれだけ人を待たせておいて、待たせたことについて一切触れずにさらっと返信してくるのはどうなんだろうか。役職が上の方に位置していると、そういうことが許されるものなのか。もし締め切りが昨日だったらどうしてくれようか、と思うけれど、そういう人間もこの世界には存在していることを大きな心で受け止めなければいけない。ようやく頂いたボールをBに投げたら、Bからはすぐに反応が返ってきて、「そうそうそう、このスピード感で仕事をしなければいけないのに」と思ったが、これでこの厄介ごととの関係も終わりそうなのでほっとしている。それ以外は特に心をざわつかせるようなことが起きることのない、ゆったりとした時間が流れていった。経理に異動して結構な時間が経つのにいまだにこんなに暇を持て余してしまっているこの状況を楽観的に捉えていてはだめ、もっともっと成長しないと、と自分を無駄に急き立てているものの正体は一体なんでしょうか。冷静になって考えてみると、今の時代、1つの会社に定年まで勤めあげるなんてことはスタンダードなやり方ではなくなってきているし、会社に対して自分の心身をすり減らしてまで自分の時間と能力を捧げるというのも古くなっているようである。「自分をうまく生かせていない」と思う時間が頻繁になったら転職を考えてもいいし、別に無理して働く必要もない。6年間は働いてきたので、ある程度は働かなくても食っていける蓄えはあるのだ。ただ、働かないようになったら今までのようにライブに行くことは困難になるだろうし、本だって気軽に新刊で購入することは難しくなるだろう。それでも、我慢するぶぶんはそれくらいなので、そこまで苦にはならない生活になると思う。観たいドラマはたんと溜まっているし、読みたい本は部屋の一角に堆く積みあがっているので、快適に暮らしていけるでしょう。こんな時代だからこそ、そろそろ30歳になってしまうこのタイミングだからこそ、一度のんびりしてみてみるのもいいかもしれないな、と思っている。割と本気で。もし仕事が面白いとか、一緒に働いている人と過ごす時間が楽しいとか、守らなければいけない家族がいるとかだったら労働を放棄するということに現実味は湧かないだろうが、運が良いのか悪いのか、私にはそのように仕事を捉えることは現時点では出来ないし、そんな存在もいないので割と比較的自由に行動できる。これは一種のチャンスなんじゃないか、と思うのは罠かもしれない、と思うことも大切にしていかなければいけないですね。慎重かつ大胆に、行動していきたいものです。

 

 

16時過ぎに母から連絡があり、上司に連絡して早めに会社を後にする。家に帰って最低限の支度をしてから、急いで新幹線に乗る。私が急いだところで何も変わらないのだけれど、早いうちに会っておきたい。新幹線に乗っている間は何も考えることが出来ずに、ただただ頭に浮かぶことを文章にしたためていた。名古屋に着いて、電車に乗って、葬儀場に着いた。私の家族は全員揃っていて、祖母も、いとこもいた。私はまだ現実を受け止めきれていなかった。このような瞬間が近いうちに来るということは覚悟していたはずだったのに、いざその時が来ると現実のものとして受け止めることが出来なかった。整髪料でガッチリと決めた人が営業担当で、いろいろな打ち合わせを既にしていて、明日は何時に集合するとか簡単なことを確認するだけだった。21時過ぎで、お腹が空いていたのでみんなで近所の中華料理屋へ行った。私はそこで油淋鶏定食を頼み、めいめい好きなものを頼んでいた。そのひとつひとつが多くて、全てを食べ切ることは出来なかった。食べている最中にこれまでのことをめいめいが語り合って、少しずつ今の状況を現実のものとして受け止めていくものとなった。私はただそれを傍観して、黙々と量の多い中華料理を食べていた。明日からたくさんのことをこなしていかなければいけない、それは10数年前のことを自然と思い出させれた、しかしその時の記憶はあまりにも曖昧で思い出せず、その時は大変だったんだろうな、と今更ながら思っている。仕事が遅くに終わったいとこが合流して、そこでまたいろいろと話をして、あまり遅くなっても明日に差し支えてしまうから、ということで早めの時間帯に解散した。

 

 

車で家に帰ってからも茫然自失という状態で、明日にお通夜があるということがまだ信じられていない私がいた。会社は忌引で休みを頂けるので、明日の木曜日から火曜日まで休みになった。こんな形でこのタイミングに地元に帰ることになるだなんて思ってもいなかった。心身は疲弊しているはずなのに、変にテンションが高くなってしまっているせいで眠気はそれほど感じなかった。でも明日からは心身ともに疲れる行事があるので、ちゃんと睡眠を取っておかなければならないのだ。24時を過ぎてもまだ眠くなくて、明日は平日なのに休みだということ、そして祖父のお通夜があるということが未だに信じられなかった。