眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

いなくなってしまう

生きているとどうしても避けて通れない、まるでそこが終着点のように待ち受けているのがなんとも憎たらしい。地球の歩んできた時間を考えれば、宇宙が歩んできた時間を考えたら人間が生きている時間なんてほんのちっぽけ、茫漠とした砂漠を構成する砂粒のひとつよりも小さいのかもしれないけれど、今こうやってそんなことを考えて文章を書いているのだから、そんなことが出来てしまういきものなのでどうしても生きるということ、死ぬということに意味を見出してしまう。私は生きることも死ぬことも究極的に意味はないと思っている冷めた人間だ。それだと80年かそれ以上の時間が退屈だから、どんな物事にも意味を見出そうとしてきたのが人間だ。意味はない。過去に起きた物事、今起きている物事、将来起きる物事に意味はない。意味なんてものはなくて、ただそれが起きただけのこと。そういう風に割り切れれば多少の切り傷でも落ち込むことなく前に進んでいけるのだろうけれど、最近の私はだいぶ落ち込んでいてそんなことすら考える余裕があまりなかった。人はいつか死んでしまう。そればかりを考えて、とにかく注意散漫になっていた。どうしたら死ぬのを遅らせられるのか、死を目前にした人にどんな言葉をかけるのがいいのか。私はそれらを最後まで分からなかった。手紙を書いたし、直接会う機会に恵まれたので会ったのだけれど、私は上手く伝えたいことを伝えられたのかな。普段から話すことを怠ってきた私を、小さく恨んだ。それでも笑顔で話していて、お気に入りの本を教えてくれたこと、その日は晴れていてぽかぽかしていてとても気持ちのいい日だったことを忘れることはないだろう。就職して東京に出てからは頻繁に会いに行くことは出来なかったけれど、夏休みとか秋のお祭りとか、クリスマスとかお正月とかに会いに行っていたことを今更になって大事に抱えたくなる。確かに私はたくさんの時間をあなたと一緒に過ごした。あなたがいなかったら、私はこの世界に存在することはなかった。たくさんもらったものを大切に抱えながら、これからの人生、楽しいこともしんどいこともあるだろうけれど、なんとかやっていくよ。明日、会いに行くね。