眠たげな猫の傍で

眠たげな猫の傍で

世界の果てで眠っていたいな

未来の展望がない

休日の2日間を睡眠に費やした。日常に耐えられなくなって摂取したアルコールが体の弛緩を促して、長時間の睡眠を無駄にしてしまった。日曜日の夜、明日からまた仕事が始まる。仕事がストレスの原因になっているわけではない。プライベートの方で、このままでいいのかなと漠然とした不安に苛まれている。東京という都会で一人、寂しさを堪えきれないくらいに噛みしめている。一人でいるのは好きだけれど、ずっと一人でいたいわけではない。街中で仲良さそうに歩いてるカップルを見ていると自分の現状と比較してしんどくなる。私は一人だ、努力をしていないし環境も環境だから一人なんだ、と言い聞かせても頼れるような、自分の弱いところを全て打ち明けて包み込んでくれるようなパートナーが欲しいなあ。一人でいることに慣れていないよ、本当は誰かと密にコミュニケーションを取って、程よいコミュニケーションを取る友人もいて、そんな日常を送れたらいいのになあ。会社では殆ど喋らない、雑談を交わすような人はいない。仕事が終わって家に帰って、面白くもないバラエティを見てて、その場では渇いた笑いをするけれど、寝る前にぐっと虚無が襲ってくる。

 

(このままでいいのか?このままずっと、このような状態を続けるつもりなのか?)

 

出会いの場所へ繰り出すほどの勇気がないのに、パートナーが欲しいだなんてほざくな、と誰かに怒られるかな。一人の時間があまりにも長すぎて、どうしたら人と良好な関係を築けるのかが分からなくなってしまった。いや、もともとそんなものは知らなかったんじゃなかったっけ。実家で家族といる時間が多いときはそこまで孤独を感じることはなかったけれど、東京に来て一人でいる時間が多くて、声を発することがあまりなくなってしまって、そうなると急に一人でいることが寂しくなってきて、ずっとこの状態が続くのだろうかと不安になって、こんな状態がずっと続くくらいならもういっそ死んでしまったほうがいいんじゃないかと思えてくる。本気で死にたいと思っているわけではない、少しの間だけ死のシミュレーションをすることで現在の茫漠とした不安から逃れられるからそうしているけれど、何度も死のことを考えていると必要以上に死が近づいてしまった、ちょっとした過ちで崖から落ちてしまいそうで怖くなってしまう。今まで平気なふりして生きてきたのが嘘のように、ちょっとしたことで苦しくなる。そういう苦しいことは大好きな音楽をたくさん聴いたり、大好きな小説家の本を読んだりしていたら忘れてしまうことが多いのだけれど、この2日間の休日はほぼ睡眠しか取っていなかったので、趣味を満喫することが出来ず、ちょっとだけ空いた隙間を狙って死が滑り込んできてしまったようだ。今の私がするべきことは、遅れてしまった簿記の勉強をすることなんかではなくて、大好きな音楽を眠くなるまでずっと聴き続けること、あと少しで発売される大好きなロックバンドの新譜がどのようなものに仕上がっているのかを妄想することなんだ。自分から近づかなくても死はいつだって近い場所に居るんだから、自ら餌を与えてやるようなことはしちゃいけない、と思ってる。「夢が覚めたら(at that river)」がいつかライブで演奏されることを夢見ながら。死にたいと思う気持ちを全力で否定してしまうのは良くないけれど、でも死にたいっていう気持ちはいつだって心の中に存在しているのは別に悪くないことなんじゃないかな、と考えてしまうのはちょっと余裕が生まれたからだろうか。小学校高学年に戻りたい、異性とも気兼ねなく遊んでいた、あのころの無敵な自分に戻りたいな。今、何の為に生きているんだろうね。